シリーズ世界へ! YOLO② 韓国 世界文化遺産をめぐる旅
文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)
- 2010年9月20日
コラム:旅を終えて
40万人以上もの韓国系住民が住むロサンゼルスに暮らしていると、韓国は大きな国で人口も多いのだろうと思いがちだ。
しかし、ソウルを眼前にして、それが錯覚だったことに気づく。急成長を続ける大都市ならではの匂い立つ活気は、迫りくる山々とうねうねと入り組んだ海岸線によって、押しとどめられているようにも見えた。
「島国」とは言えないにしても、限られた国土(面積は日本の4分の1)と厳しい四季の中、人々は工夫しながら生き延びてきたのだろう。平らなカリフォルニアでは忘れていても、似たような狭い国で生まれ育ったから分かる皮膚感覚かも知れない。安東と慶州への道中でも、起伏の豊かな自然と素朴な山村の風景が、最も印象に残った。
歴史文化遺産をめぐる旅というのは、喪失や傷跡をめぐる旅でもあると思う。そこにあるものは、同時に、そこにないものも映し出すからだ。
大陸の端に小さく突き出た朝鮮半島(韓半島とも呼ばれる)は、モンゴル、日本、中国、ロシアなどの周辺国から攻め込まれ、脅かされ続けてきた。新羅王朝と朝鮮王朝の最盛期は、安定が唯一長続きした時代。
それだけに、修復されて今に残っているものは、韓国の人にとって誇りであり、大事にされているようだ。どこへ行っても、修学旅行生や遠足の子供たちを見かけた。
慶州で出会ったツアーガイドは、「韓国は山によって『道』ごとに分断され、文化も天気も違うので、最近まで交流も少なかった。王朝が弱体化すると、権力者は内部闘争に明け暮れて、民衆は米を作って寝るぐらいしかできることがなく、本当に貧しかった」と話していた。
日清戦争と日露戦争で戦場となり、日韓併合(1910年)により日本の植民地として支配された20世紀前半。ソウルを案内してくれたツアーガイドは、「日本の占領は36年。長い歴史を考えれば『たった36年』なのだけれど、韓国人にとってはとても長く、壊滅的な時間だった」と言っていた。
今回見た世界遺産にも、日本軍に焼かれたり、壊されたりした跡がある。大英博物館を例にとるまでもなく、文化財強奪は覇者による常とはいえ、それにしても、ある場所でガイドが、「日本へ運ばれたがその後返還されたもの」と言って指し示した石は、私には日本の山寺に行けば見つかりそうな石にも見えた。オリエンタリズムに満ちた西洋人の目にならまだしも、船で日本へ持ち帰るほどの必要があったのだろうかと、考えてしまった。
今年8月で、日韓併合から100年。若い世代を中心に、前向きに好転しつつある日韓関係だが、文化財の返還問題は今も火種としてくすぶる。
最近の報道によると、韓国国立文化財研究所の調査で、植民地時代に日本に流出した文化財は6万点以上。日本政府は、1965年の日韓基本条約締結で韓国側の請求権は消滅したとして、ごく一部の返還にしか応じていないが、韓国では大量返還を求める声が強いという。
こんな石なら奈良や京都に沢山ありそう…と思える私と、それを大切そうに眺める韓国人ガイドとの間には、くぐってきた歴史の違いがある。遺産の価値もそれと無縁ではないだろう。
取材協力/韓国観光公社(Korea Tourism Organization)
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