シリーズアメリカ再発見⑫ 南北戦争150周年
ゲティスバーグ~モンティチェロ 霊場街道をゆく

文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)

 

Courtesy of Gettysburg CVB

ゲティスバーグのダウンタウンにあるリンカーンの銅像
Courtesy of Gettysburg CVB

 当時、「背中を撃たれて死ぬ」ことは兵士にとって最大の恥だった。連隊は州ごとに分かれ、生まれ育った街の顔見知りが沢山いたから、余計に名誉を守ることが大切だったそうだ。後ろ向きで一目散に逃げていれば助かったものを、名誉を優先して前(敵の方)を向いたまま一歩ずつ後ずさりで撤退したために死んだ兵士も相当いただろう、とカールさんは話してくれた。

 19世紀半ば、国土の拡大に伴う奴隷制存続の是非と政治経済のパワーバランスをめぐって、南北の対立は深まった。1860年12月にサウスカロライナが合衆国を離脱(Secession)。ミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、テキサスが続き、61年2月に南部連合国(The Confederacy)が誕生する(大統領はジェファーソン・デービス)。リンカーンの合衆国大統領就任から間もなく、サウスカロライナのサムター要塞で南軍が発砲したのをきっかけに戦争が始まった。

 63年の夏、南軍は豊富な資金に支えられ進撃を続けていた。幾つもの戦いで勝利を収めたリー将軍は、ペンシルベニアの大都市ハリスバーグを落とすつもりでいた。鉄道と10本の幹線道路が交わるゲティスバーグで勝てば、戦争自体に勝利できるという計算だったのだ。

 南北戦争はその後2年続いたが、南軍は二度とこの敗戦から立ち直れなかった。だからゲティスバーグは、合衆国を救い、自由と平等の理念を守った砦の象徴になっている。

 もちろんそれは現代の解釈で、南北の溝はそう簡単には埋まらなかった。南軍の前線セミナリー・リッジにはノースカロライナやミシシッピの記念碑が並んでいるが、20世紀に入るまで南軍の碑は一つもなかったという。今も公園の記念碑の9割は北軍のものだ。敗者にとっては、それほど思い出したくない場所なのかも知れない。

◆  ◆  

 セメタリー・リッジの一角、ミード将軍の作戦本部があった場所から通りを隔てたところにゲティスバーグの国立墓地がある。3512人の北軍兵士が眠る。63年11月19日、墓地の完成式典にやってきたリンカーンはここで「Gettysburg Address」と呼ばれる名演説を残した。アメリカ人なら誰でも子供の頃に学校で暗誦させられた記憶があるだろう。

 演説はたった2分という短いものだった。実は式典のメーンスピーカーは別の政治家で、リンカーンの前に2時間も演説したそうだ。内容は誰も覚えていない。長く話せばいいってもんじゃない、お手本のような逸話である。
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 ゲティスバーグを舞台にした映画やドキュメンタリーは沢山ある。私の中ではゲティスバーグといえば、「リメンバー・ザ・タイタンズ」のイメージが強かった。

 人種統合を強制された小さな街の高校のフットボール・チーム。いがみ合う白人と黒人の選手たちを、デンゼル・ワシントン演じる鬼コーチが午前3時に叩き起こし、ジョギングに連れ出す。たどりついたのはゲティスバーグ。息も絶え絶えの選手たちの前で、ゆっくりと朝霧が晴れていき、古戦場が浮かび上がる。「アメリカは今も同じ戦いを続けている。憎しみはお互いを滅ぼすだけだ」。そんなコーチの言葉に打たれ、チームが一つにまとまって……。典型的なハリウッドの「スポ魂」映画だが、その美しいシーンが記憶に残っていた。

 聞けば、朝霧や夕靄の時間帯を狙ってゲティスバーグを訪れる人はとても多いという。カールさんは「霧の写真をいったい何枚撮ったことか」と言って苦笑していたけれど、気持ちはよく分かる。私も時間があれば2~3日滞在して、そんなシャッターチャンスを待ちたかった。


 

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