フローラルデザイナー
大須賀 美津子

文/福田恵子 (Text by Keiko Fukuda)

 高度な資格や専門知識、特殊技能が求められるスペシャリスト。手に職をつけて、アメリカ社会を生き抜くサバイバー。それがたくましき「専門職」の人生だ。「天職」をつかみ、アメリカで活躍する人たちに、その仕事を選んだ理由や、専門職の魅力、やりがいについて聞いた。

「原動力は喜ぶ顔を見たいから 常に期待以上の作品に仕上げる」

 子どもの頃から物を作ったり絵を描いたりするのが好きでした。お花は、1985年に日本で日比谷花壇主催のお花のレッスンを受講したのが、最初のきっかけです。主人の転勤先のニューヨークでも、お花を教えていた主人の上司の奥様の所に通いましたが、1年半後、ステップアップしたくなり、アメリカ人の先生を紹介してもらいました。お花屋さんに4、5人の生徒が集まる形式で、そこにも1年半通った頃、先生に「あなたはもうお店が持てるレベル。生徒に教えてもいい」と言ってもらえるまでになりました。

 生徒は口コミでどんどん増えて、60人ほどになりました。当時はニューヨークに日本人駐在員が大勢いたのです。教えながら、さらに勉強したくなって、マンハッタンにあるパーソンズ美術大学のプロフェッショナルデザインコースとインストラクショナルコースを3年かけて修了しました。本来なら2年のところ、なぜ3年かかったかと言うと、3人の子どもたちの世話や学校の送迎をしながら、夜のクラスを取ったりしていたからなのです。

 その後、転勤でカリフォルニアに移って来ました。最初は戸惑いましたね。ニューヨークはマンハッタンに文化と芸術が凝縮されていて、今、何が流行っているかが一目でわかりますが、ロサンゼルスはどこにお花を必要としている人がいるかもわからない。一体、自分のお花の生徒さんはどこにいるのだろうと途方に暮れてしまいました。1995年、覚悟を決めて、自分の拠点を設けようとターザナ(ロサンゼルス郊外)に花屋を開きました。小売りももちろん、店の中でクラスを開講するだけでなく、あちらこちらと生徒さんが集まる所に教えにも行きました。

 最初の1年、軌道に乗るまでは大変でしたが、店を持ったことで多くのアメリカ人の目に触れて、さらに口コミで顧客が広がり、ビジネスは着実に伸びていきました。しかし、転機は2008年のリーマン・ショックでした。常連の顧客から注文が途絶えてしまったのです。店を人に売却し、再び身軽に戻りました。それでも、店を経営していた15年間で、花を通じて、いろいろな国の顧客の文化や嗜好を学ぶことができたことはデザイナーとして一生の財産になりました。

花のレビューサイトでフローリスト1位に

 身軽になった私が最初にしたことは、初心に返って修行に出ることでした。当時、ウェディングやパーティーにかけてはナンバーワンだったビバリーヒルズのフローリストで働き始めました。ところが、一流の店はやはり仕事も大変。午前中に一人で20個のセンターピースを作った後、午後は60個作るようにオーナーに指示されたりするのです。それでもモンタージュ、リッツカールトン、ビバリーウィルシャーといったホテルのフローラルデザインを担当させてもらい、多様なデザイン性とトレンドを身につけることできて、目からウロコの連続でしたね。

 さらに他の店でも手伝いながら、自分の生徒に教えて、ミツコフローラルという会社のチーフデザイナーとしてパーティーやイベントのオーダーを受けていましたが、今年5月の母の日を最後によその店のお手伝いは卒業、今はミツコフローラル1本です。今後はますます、生徒の指導と、クライアントへのサービスに力を入れていきたいと思っています。

 最近はインターネットの力が大きいですね。いくつかのお花のサイトに登録すると、そこを見て問い合わせをいただいた結果、新規顧客を獲得することが多いです。サムタックというサイトでは、弊社がロサンゼルスのサウスベイとオレンジ部門のフローリスト1位にランキングされました。

 フローラルデザイナーのモットーは、基本はいただいた仕事を要望通りに丁寧に、そして顧客が期待した以上の物を仕上げる努力を怠らないこと、決まっている予算の枠の中で驚きを生み出すこと、ですね。たとえば、シャクヤクの花束を作る時に、グリーンの葉をあしらうだけでぐっとお花が引き立って見えるのです。作っている時からお客様の喜ぶ顔が目に浮かんで、自分でも嬉しくなってしまいます。そう、この仕事の原動力は喜ぶ笑顔が見たいから、に尽きます。

 そのような姿勢で、リピーターとなって注文していただくことでお花のビジネスを30年近く続けてこられました。重い物を持つなど体力も必要ですが、それが難しくなれば、アシスタントやデザイナーの陣頭指揮を執ればいいのですから年齢は関係ないですね。10年後には私のスタイルを引き継いでくれる生徒を育てて、その生徒たちに活躍してほしいと願っています。

mitsuko-san

My Resume
●氏名:オオスガ・ミツコ(Mitsuko Osuga)
●現職:「ミツコフローラル」オーナー兼チーフデザイナー
●前職:フローリスト経営、他フローリスト所属のフローラルデザイナー
●ビジネス拠点:南カリフォルニア、依頼があれば米国内も回る
●その他:趣味のソーシャルダンスは最近お休みして、仕事一筋の毎日。昨年、タヒチで結婚式を挙げた次女には、現地で調達した花でブーケを作った。
●ウェブサイト:www.mitsukofloral.com

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福田恵子 (Keiko Fukuda)

福田恵子 (Keiko Fukuda)

ライタープロフィール

東京の情報出版社勤務を経て1992年渡米。同年より在米日本語雑誌の編集職を2003年まで務める。独立してフリーライターとなってからは、人物インタビュー、アメリカ事情を中心に日米の雑誌に寄稿。執筆業の他にもコーディネーション、翻訳、ローカライゼーション、市場調査、在米日系企業の広報のアウトソーシングなどを手掛けながら母親業にも奮闘中。モットーは入社式で女性取締役のスピーチにあった「ビジネスにマイペースは許されない」。慌ただしく東奔西走する日々を続け、気づけば業界経験30年。

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