第21回 産んでみる

文&写真/樋口ちづ子(Text and photos by Chizuko Higuchi)

 産んでみようと思うんです。電話の向こうで優しい声がする。仕事一筋に打ち込んできたこの女性は、頭脳明晰、努力家、語学堪能、その上スタイル抜群の大和なでしこ美人である。こんなフェミニンな人がどうして独身なんだろうと不思議に思っていたが、最近米国人と結婚した。両者とも若くはなかったので、よき伴侶を得て、これからは安心できるなと、喜んでいた矢先だった。

 妊娠手術を受けようと思う、という言葉に私は一瞬ドキリとした。彼女は確か50才になっていたはずだ。「やるな」と脱帽した。

 いろいろ考えたんですけど、やっぱり、このままでは何か欠けたものがあるような気がして、満足できないんです、と優しい声でいう。優しい声なのに、言っている事はかなり過激だ。

 昔は女性は33歳までに初産を済ます、が定説だった。古くから言われている事は、何世紀もかけて検証された事なので、理由がある。母体の健康、生まれる子に事故がないように、統計から出た人間の知恵である。疎かにしてはならない。いくら今は医療が発達し、高齢出産は低リスクになったとはいえ、かなりのリスクは依然としてある。

 賢明な人だから、考えあぐねた時に、最悪の事態を想定して悩んだはずだ。万が一の結果を引き受け、その後の長い闘いの人生を生き切れるかと。それでも、産むほうを選んだ。度胸がある。

春一番に咲く梅の花 Photo © Chizuko Higuchi

春一番に咲く梅の花
Photo © Chizuko Higuchi

 何十年も前の私のラスベガスでの出産が思い出された。朝起きぬけに破水した。医師の指示を仰ぎ、夫は仕事を休み、二人で病院に駆けつけた。途中でふと、出産は長丁場になるので、何か食べておくこと、というお産の手引き書の文句を思い出した。産院前に、ケンタッキーフライドチキン店が目についたので、そこで、無理やり夫と二人でチキンを食べた。実はこれが大間違いとは知らずに。

 担当のナースは男性だった。お産だから、女性に代えてほしいと言ったらこの男性を傷つけるのではと、遠慮して言い出せなかった。彼から出産時は力むのでお腹は空でないといけないと、浣腸させられた。今食べたチキンを出せと言うのである。大きなお腹をかかえて、ベッドとトイレを往復した。自分の無知を恥じた。

 お産は陣痛がくるまでに時間がかかる。待ちあぐねた夫が夕食に帰宅した時から、陣痛が始まった。病室には私一人。ドンドン、まるで大波が次々に押し寄せてくるように痛みが襲ってきた。痛いを通り越し、圧迫感である。身体の内部から大爆発しそうな感じ。あまりの痛さに歯をくいしばるだけで声も出ず、金属ベッドにしがみついていると、ベッドごとブルブル大きく震えていた。それは恐怖感が走るほどの圧迫感だった。血の気が引き、時々意識が遠退いた。死んでしまうかも、と生まれて初めて思った。凍った頭で、このまま死ぬのなら、子供を産んでから死のうと決心した。

 ナースたちが慌てて飛び込んできた。早く生まないと赤ん坊が産道で窒息死するよ、と口々に指示する。そこにフィリピン系の初老のナースが来て、下半身の一部を押し、ここに力を入れなさいと大声でしかってくれた。

 子供は真夜中に無事生まれた。涙がほほにこぼれた。丸出しの下半身を沢山の人に見られ、本人には生と死の1本の線をまたがずに済んだ瞬間だった。涙は流れ続けた。

 その日に夫は我が家の裏庭に咲き始めた梅の小枝を1本コップにさして持ってきてくれた。二人で祝った。「折り梅」と言う梅は折れても折れても咲くそうである。

 産むというのは、多かれ少なかれ自分の命を危険にさらす。恥も外聞もない闘いを一人で闘う。産むのはあなた一人だから。

 産んでみなさい。応援します。

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樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう37年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

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