メッツラー薫
ダンス/ヒップホップインストラクター­­

文/福田恵子 (Text by Keiko Fukuda)

 高度な資格や専門知識、特殊技能が求められるスペシャリスト。手に職をつけて、アメリカ社会を生き抜くサバイバー。それがたくましき「専門職」の人生だ。「天職」をつかみ、アメリカで活躍する人たちに、その仕事を選んだ理由や、専門職の魅力、やりがいについて聞いた。

「プチ鬱から救い出してくれたヒップホップ
いかに生徒にエンジョイしてもらうかに注力」

 私が教えているのはズンバとズンバゴールド(ズンバのソフトバージョン)、それにヒップホップのクラスです。バレエやタップの経験があるインストラクターが多い中、私にはダンスの下地はありませんでした。20歳でアメリカ人の主人と日本で結婚して、子どもが4人生まれ、育児に追われていたために就職したこともありません。働いた経験は主人が経営していた英語学校で少しお手伝いした程度。ところが1999年、人生が一転します。それまで一家6人で暮らしていた福岡から、主人の里でもないオレゴンに突然引っ越すことになったのです。それも主人の鶴の一声。夏休みに英語学校の生徒さんを連れてアメリカに来た主人が(オレゴンの)ビーバートンに借家を見つけて、その1カ月後には下は4歳、上は高校1年生の子どもたちと一緒にオレゴンでの生活がスタートしていました。すべてがゼロからの状態で、私はあの頃、プチ鬱状態でしたね。

 子どもたちは現地校に通い始め、放課後、娘たちが地元のレクリエーションセンターでヒップホップのクラスを取ることになりました。私はクラスを見学。すると見ているだけでは我慢できなくなったんです。身体がどうしても動き出してしまう。先生に「私も一緒にレッスンを受けさせてください」と意を決してお願いしたら、「ここは子どものクラスですから年齢制限があります。お母さんは大人のクラスに行ってください」とあっさり言われてしまいました。

 大人のヒップホップクラスに通い始めると、すぐにはまりました。365日踊っていましたね。夜、子どもたちが寝静まると、家に大きな鏡がないのでリビングルームの窓ガラスを鏡代わりに踊り続けました。そこでわかったのは「私は同じことをずっと繰り返しても飽きない」ということです。振り返ってもよくぞあそこまで夢中になったな、と思います。でもヒップホップが、先が見えずに憂鬱だったアメリカ生活の突破口になったのは事実です。

 その後、フィットネスクラブでのクラスを取った後に、2001年に中学生のアフタースクールプログラムの一環で、ヒップホップを教え始めました。40歳になろうとしていました。 子どもたちが皆、一生懸命ついてきてくれて、私も夢中になって教えました。

 そうしているうちにレクリエーションセンターで教えないかと声がかかり、そこでは今も教えています。10年になりますね。他にフィットネスクラブでも、さらに、2008年にはズンバの資格も取得しました。今では3カ所の教室で、週に21時間半教えています。48時間労働というと頭ではピンとこないかもしれませんが、ダンスインストラクターとしてこれはかなりハードなスケジュールです。

シニアフィットネスにフォーカス当てたい

 インストラクターは当然体が資本ですが、体を壊して途中でやめてしまう人が結構多いのです。その点、私は40から始めた仕事ながら、ラッキーなことに大きな故障もなく今まできました。心がけているのは人と比べないこと。激しくジャンプするなど、派手な動きを取り入れるインストラクターもいますが、私は飛びません。実際、私はアドバンスの技術を持ったダンサーではないので、いかに生徒さんにエンジョイしてもらえるか、そのことを一生懸命考えてプレイリストを作って、オリジナルの振り付けで教えています。新しい振り付けを取り入れるには、動画サイトをチェックしたり、ワークショップに参加して実際に勉強したりもしています。

zumba stand up

 また、人と比べないだけでなく、人から言われたことを気にしないことも大切です。生徒さんの中にはインストラクターの指導に関して細かくフィードバックしてくるような人もいます。でも、それをいちいち気にしたり、傷ついたりしているようでは先には進めません。

 この仕事をしていて喜びを感じるのは、生徒さんがダンスを続けたことでこれだけサイズダウンした、あなたのおかげと感謝の言葉をかけてくれる時です。そして、「You did it for me(あなたが私のためにやってくれた)」と生徒さんに言われるたび、私は「No, you did it!(いいえ、あなたが自分でやったのよ)」と答えます。私の振り付けで踊って、それで健康的になったとか、血糖値が下がったとか、薬の量が減ったとか、報告してくれる生徒さんがいます。でもそれは自分で続けたからこそです。

 あと、育児でストレスを抱えていた生徒さんからも「ダンスのクラスが日々の楽しみをくれた」と言われました。私自身、4人の子の母ですから、育児をしていると、いかに自分のための時間がないか、よくわかります。でも、お母さんたちにはちょっとだけわがままになってほしいのです。たった1時間だけ、クラスに出てきて、ストレスを忘れて汗を流してほしい。罪悪感を感じる必要はありません。

 実は2006年に、仕事中の事故で主人を亡くしました。それからは子どもたちを抱えて、自分で稼いでいかなくてはいけないということもあり、ダンスをもっと本格的にやろうという気持ちになりました。ズンバの資格を取ったのも間接的には主人の死がきっかけだったと思います。でももちろん、生活のためだけにダンスを教えているわけではなく、本当に好きだから続いているのです。もうすぐ53歳になるんですが、まだまだいけそうです。10年後も自分の体調に配慮しながら、今のように教えていたいです。さらに益々需要が高まりそうなシニアフィットネスにフォーカスしていきたいとも考えています。

kaoru1

My Resume
●氏名:メッツラー・カオル(Kaoru Metzler)
●現職:ダンス/ヒップホップインストラクター
●前職:主婦
●取得した資格:Zumba instructor、Zumba Gold instructor
●ビジネス拠点:オレゴン州ポートランド、ビーバートン近辺
●その他:4人の子どもの母。孫娘が誕生して益々張り切っている。
●ウェブサイト:kaorumetzler.zumba.com

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福田恵子 (Keiko Fukuda)

福田恵子 (Keiko Fukuda)

ライタープロフィール

東京の情報出版社勤務を経て1992年渡米。同年より在米日本語雑誌の編集職を2003年まで務める。独立してフリーライターとなってからは、人物インタビュー、アメリカ事情を中心に日米の雑誌に寄稿。執筆業の他にもコーディネーション、翻訳、ローカライゼーション、市場調査、在米日系企業の広報のアウトソーシングなどを手掛けながら母親業にも奮闘中。モットーは入社式で女性取締役のスピーチにあった「ビジネスにマイペースは許されない」。慌ただしく東奔西走する日々を続け、気づけば業界経験30年。

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