[敬老・売却問題] ショーン・ミヤケ・敬老シニアヘルスケアCEOにインタビュー

聞き手&構成/佐藤美玲(Interviewed and edited by Mirei Sato)

 ロサンゼルスの非営利団体「敬老シニアヘルスケア」(通称「Keiro」)の施設売却をめぐって日系コミュニティーが揺れている。売却に反対する「敬老を守る会」(Save Keiro)は、カリフォルニア州司法長官と敬老の経営陣に売却の差し止めと公聴会の開催を求めて約1万2000人分の署名を集めた。11月23日に守る会が開いたタウンホール集会には約500人が集まり、連邦議員らの応援も得て闘い続けることを誓った。
 こうしたコミュニティーの反応をどう受け止めているのか? 敬老シニアヘルスケアのショーン・ミヤケCEOに聞いた。

注:インタビューは、タウンホール集会に先立つ11月20日、約30分にわたって行われたものを、日本語に訳し、構成しています。

守る会は11月18日、反対署名を敬老側に手渡しました。署名した人の数や、コミュニティーの声をどう受け止めていますか?

 もっと情報を公開するよう要求している個人が多くいることは認識していました。でも私たちが驚いたのは、彼らが求めている情報はすでに公開されているものだということです。司法長官がすべて公開しています。反対派も自分たちのウェブサイトに載せています。それをまた要求してくるというのは、ちょっとおかしいと思います。

敬老シニアヘルスケアのショーン・ミヤケCEO Photo credit: Courtesy of Keiro Senior HealthCare

敬老シニアヘルスケアのショーン・ミヤケCEO
Photo credit: Courtesy of Keiro Senior HealthCare

11月23日のタウンホール集会には招かれましたか?

 何日か前に、羅府新報(*日英両語で発行している日系紙)の記事に「敬老の代表が出席する」と書いてあり、おかしいと思っていました。私は誰からも招待を受けていなかったからです。昨日になって反対派からEメールがきました。「あなたがたに出席してほしい」という内容でしたが、断りました。都合がつかないからです。集会は月曜で招待を受けたのが木曜ですから、配慮があるとはまったく思えません。敬老には600人の居住者がいて24時間体制です。彼らのケアをすることが私の仕事、責任ですから、十分な余裕なく告知されても出席できません。

「招待したのに来なかった。自分たちの声を無視した」と感じる人もいるかもしれませんが、どう受け止めますか?

 もう3年にわたって、それも1度ではなく2度発表してきました(*現在の売却先のパシフィカ社の前に、エンサイン社とも売却を進めたが認可されなかった)。何十回も一般説明会を開き、メディア向けの発表資料もいくつも出しました。調べれば2013年までさかのぼれるはずです。売却の決断に関しても詳細を公表しています。決断に至る前に考慮した(売却以外の)手段についても、です。許される範囲での情報はすべて公開してきました。
 ビジネスをしている人なら大概わかると思いますが、売却の話に入るとき「守秘義務契約」を結びますから、詳細は明らかにできません。でも司法長官が公開を許可したらすぐに、敬老のウェブサイトで情報を公開しました。2度とも、です。「パブリック・ノーティス」(公告)を新聞にも載せました。羅府新報が掲載しましたし、ウェブサイトで誰でも見られるようにしています。影響を受ける人全員に、手紙を送り、Eメールも出しました。

それは今年の6月ですか?

 6月だったと思います。でも1度ではありません。その前の売却話でも同じことをしました。「聞いていない」「知らなかった」と言う人がいますが、私にはとても信じられません。何人か、後になって認めてきた人もいます。「家族が敬老に入居しているわけではないので重要だと思っていなかった」と。それは私の責任ではありません。彼らの責任です。一般に公開している以上、注意を払うか払わないかはその人たちの責任です。
 ウェブサイトを見てもらえれば、多くの説明会を開き、質問に正直に一貫して答えてきたことがわかるはずです。十分すぎるほどにやりました。司法長官からの手紙にもそれは示されています。長官が売却を認可するまでには、非常に厳しい綿密な手続きが行われます。私たちは今回の売却に関して2000ページにも及ぶ書類を出しました。前回の売却でも2〜3000ページの書類を出しました。気づいていない人も多いでしょうが、質問を受けて追加でさらに詳細な書類も出しました。
 敬老の入居者も含めて、2000ページの書類をすべて読んだという人はごくわずかです。私が話をした人のほとんどは読んでいません。もちろん読んだ人でも、全員が賛成しているわけではありませんが。
 私だって、「敬老を売る決断をして幸せか」と問われれば、答えは「ノー」です。非常に悲しい気持ちです。私はここで22年間仕事をして、キャリアの大半をコミュニティーに尽くしてきました。理事会のメンバーも全員がボランティアです。みんな熱心で、長い人は40年も務めています。日系社会でさまざまな組織にかかわっている人たちですから、彼らがやることは常にコミュニティーのためであって、ネガティブなことをするわけがないのですが、それを人々にわかってもらうのはとても難しいです。

十分すぎるほど努力したと言いますが、それでも事実として、説明に納得できず公開した情報は不十分だという声があるわけです。違う方法をとっていれば、結果も異なったと思いますか?

 わかりません。推測はしたくないです。ただ、日系コミュニティーの中で日本語を話す人たちに対しては、明らかに私たちの思い込みがありました。羅府新報に告知すれば自動的に羅府の日本語版にも載ると思っていたのです。でもそれは違って、別々の新聞だと言われました。羅府の日本語版が、日本語を話す人たちの間で広く読まれているわけではない、ということも認識していませんでした。今はメッセージを伝える経路を理解したので、より努力しています。
 日本語を話す人たちが、敬老で起きていることに関心をもっているということも、はっきりわかっていませんでした。ただ私たちは、直接影響を受ける人たちを優先してきたわけで、それは筋が通っていると思います。実際、この5年間あなたもたいして注意を払ってこなかった。家族が入居しているのでなければ、何が起きているかそれほど関心は抱かないでしょう。そういうものです。
 いま声をあげている人たちのほとんどは、これまで敬老と直接的なつながりはありませんでした。家族が入居していたわけでもないし、ここでボランティアをしてきたわけでもないし、寄付もしてこなかった。だから驚いたのでしょう。
入居者と家族、スタッフとボランティアには多くの時間を費やして説明しました。それでも理解できないという人はいます。多くの人が悲しんで、怒って失望している人もいるとは思いますが、私たちは売却先の会社と合意を結びました。売却後も何も変わらず、職員もボランティアも残り、文化的な配慮をした介護と質は保たれます。建物も同じです。
 司法長官は一般から意見を募る期間を設けました。1度目のときはそうでもなかったですが、2度目はかなり多くの意見が届きました。それを受けて長官が設定した条件のいくつかは、私たちが売却先と交わした合意事項と重なっていました。司法長官が二重に保証したというわけです。
 だから私たちは安心して売却を進めたのですが、突然この2カ月で、騒音が出てきました。それまでずっと静かだったのに。だから驚いています。

売却後に「コミュニティー諮問委員会」を設け、守る会から3人を入れる提案が司法長官からの書簡の中身にありました。敬老側から提案したものか、それとも司法長官の指示ですか?

 共通の理解の上で、と言えるでしょう。10月15日のコミュニティー集会の後だったと思います。この問題に非常に強い関心を抱いている人がいるとわかったので、彼らの懸念の一部が受け止められるように、機会を与えてあげるのはいいことだと思いました。私たちには何も隠すことはありませんから。司法長官と話して、何かできることはないかと聞きました。それで生まれた提案です。
 諮問委員会の募集を始めて、すでにたくさんの応募が届いています。締切(12月15日)までに、十分な数の候補者が集まると思います。委員会は全部で10人構成です。現在の敬老の理事会の代表が1人。残りは、入居者、家族、職員、ボランティアの代表にはいってほしいです。彼らはたいてい寄付者でもあります。反対派に3席用意されています。

ボイルハイツにある敬老の施設 Photo © Mirei Sato

ボイルハイツにある敬老の施設
Photo © Mirei Sato

日本語を話す人たちが敬老に関心をもっているのを知らなかったということですが、本誌編集部にはここ数年、アメリカで老後を迎えることに不安を抱く読者から、どんなオプションがあるのか取材してほしいという要望が多く届きます。ここで死ぬつもりで渡米したわけではないけれど、年はとっていく。特にニューヨークのような都会で一人暮らしをする人からは、日系人が築いた強い基盤のあるカリフォルニアへの関心の高さを感じます。このような日本人移民に伝えたいことはありますか? また、ほかの州でも高齢者向けのサービスを手がける日系の団体がありますが、どのような連携をとっていますか?

 敬老にいた20年間、全米の介護サービスの提供者と連絡をとりあってきました。主にニューヨーク、シカゴ、カリフォルニア、ワシントンの団体です。ニューヨークは特に興味深い場所です。多くの日本人がいます。企業に勤めて、アメリカに残ろうと決め、アメリカ生まれの子供がいる人たちです。彼らは、日本に帰りたい、でも子供を置いて帰れない、という葛藤を抱えています。この10年、ニューヨークからは、何ができるだろうかという相談を受けてきました。

なんという名前の団体ですか?

 組織の名前は思い出せませんが、個人だとか、文化的に配慮したサービスを提供する団体などです。
 問題は、地理的なことです。ニューヨークに住んでいる人もいれば、ニュージャージー、ペンシルベニアの人もいます。南カリフォルニアでは比較的、日本人同士は近くに住んでいるし、長距離ドライブすることにも慣れていますが、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニアでは難しいと思います。一つの施設をつくって、すべての人たちにサービスを提供できるとは、ちょっと思えません。人口が拡散しすぎていることが、課題の一つです。
 カリフォルニアをみても、敬老と同じように、誰もが変化に対応し始めています。たとえば、サンフランシスコの「こころ」(Kokoro Assisted Living)は、設立当初は日系人向けでしたが、徐々に非日系人を対象にするようになりました。ワシントン州の「シアトル敬老」は、最近「敬老ノースウェスト」(Keiro Northwest)に改名すると発表しました。より広いアジア太平洋諸島系のコミュニティーにサービスの中心を移すためです。
 両団体とも同じことを言いました。「日系コミュニティーは変化している」と。日系人の子供の大半は多人種(マルチレイシャル)です。親たちも、昔のお年寄りのように、できるだけ自宅で長く暮らしたい、子供たちのそばにいたいと望んでいます。
 敬老でも、5年前までは入居希望者が多く「1〜5年待ち」でした。しかし2005年以降の10年間で、新規の入居希望者はトータルで80%減りました。2005年に137人いた入居希望者が、23人にまで減ったのです。最大で25人が施設を去りました。現在は、常に空室が10室ある状態です。
 「入居したい人がいっぱいいるのにどうして・・・」と言う人がいますが、それは真実ではないのです。自宅で過ごす時間が長いので、入居するときにはより高齢でより病弱な状態です。だから入居しても長くはいません。かつては敬老に10年、20年と暮らした人もいましたが、今はおそらく2年かそれ以下でしょう。来て3カ月で、介護施設から病院へ移ってしまう人もいます。
 前述したほかの組織は「居住型」のサービスで老人ホーム(retirement home)がほとんどですが、敬老は施設の4分の3が「介護型」(nursing home)です。いまヘルスケアの業界で起きている変化は、この管理医療(managed care)の分野に大きな打撃を与えています。コミュニティーの変化とヘルスケアの変化が一緒になって、理事会に売却というつらい決断をさせたのです。
 ほかの組織は、うまく切り抜けようとそれぞれ努力しています。サクラメントの「Asian Communities Services」は、もともと日系と中国系の農民のためにできた団体ですが、今は「低所得者向け」サービスに変わり、対象をほかのアジア系にも広げています。シカゴでもニューヨークでもカリフォルニアでもワシントンでも、みんなが「多様化」しようと動いています。
 敬老の理事会は、何年もかけたリサーチでこの状況を理解していましたが、多民族化(マルチエスニック)の方向へ進みたくなかったのです。敬老の創設者であるワダ氏やアラタニ氏がそれを望むだろうか、と考えて、日系に特化した組織として残すべきだと思い、売却を決めたのです。
 売却によって今後、日系コミュニティーによりよいサービスを提供できると信じています。ボイルハイツだけでなく、南カリフォルニア全体、日本語を話す人たちも含めて、です。今は売却を完了させることに集中していますが、今後数カ月で、新しい方向性をもっと明らかにできると思います。

敬老は今よりもさらに日本文化に特化したプログラムになると信じているのですか?

 その通りです。今の敬老が所有しているのは600人をケアできる建物ですが、私たちの視野にあるのは25万人の日系人です。日系コミュニティーは非常に多様です。日本語を話す人たちの間でさえ単一ではないということを知って、驚きました。いくつもの小さなグループから成り立っていて、みんなが違う関心をもっています。ビジネスで来てアメリカ生まれの子供がいる人たちは、ほかの日本人とは違うニーズをもっています。私にとって、この数カ月は学ぶことの多い体験でした。
 敬老の課題は、日系アメリカ人だけでなく多様な日系コミュニティーのすべての人を対象にすることです。日本語を話す人たちにそれをどう伝えるのかも、注意して考えないといけません。

施設を売ってしまった後、それをどうやって達成するのですか?

 既存の施設を活用するモデルを考えています。コミュニティーには、教会や寺、コミュニティーセンターなどがあります。ガーデナには、たしか沖縄県人会だったと思いますが、彼らが所有する建物があり、敬老は一緒に活動をしてきました。
 建物をもたなくていい、自分たちがコミュニティーに出ていくほうがずっといいのです。日系コミュニティーは、もはや「リトル東京」にあるわけではないからです。それは神話です。南カリフォルニアの全域に広がっています。リーチするのに、インターネットではすべてはできません。高齢者はインターネットを使いませんから。私たちがいろいろな場所に出かけていって、プログラムを提供しようというわけです。
 個人やグループに合わせたプログラムにしなければなりません。日系コミュニティーの中には、日本語をしゃべる人もいれば、英語を話す人も、日本生まれの人も、「帰米」の人もいるからです。
 売却先との合意があり、司法長官の条件もついていますから、入居者600人はしっかりケアしてもらえます。彼らのことも家族や職員のことも、心配しなくても大丈夫なので、これからは外に出て25万人の日系人にサービスを提供しよう、ということです。
 敬老が売られると聞いて、プログラムがなくなってしまうのかと問われますが、違います。むしろ拡大していくのですからエキサイティングです。コミュニティーからも、すでに多くのフィードバックをもらっています。
 たとえば最近、25のコミュニティーの団体と1日で会う機会がありましたが、そのときに挙がった最大の問題は、介護でも食事でもなく、「交通手段」でした。高齢者は運転ができないから孤立してしまうのです。交通手段さえあれば、地域の施設に来てもらえます。敬老の次の5年間の課題の一つは、そのような孤立をなくして、コミュニティーと人々をつなぐことだと思っています。

⚫︎「敬老シニアヘルスケア」
公開している売却に関する経緯など
www.keiro.org/updates
売却や将来に関する意見の送り先
planningforthefuture@keiro.org

⚫︎「敬老を守る会」のウェブサイト
savekeiro.org(英語)
jp.savekeiro.org(日本語)

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佐藤美玲 (Mirei Sato)

佐藤美玲 (Mirei Sato)

ライタープロフィール

東京生まれ。子供の時に見たTVドラマ「Roots」に感化され、アメリカの黒人問題に対する興味を深める。日本女子大英文学科アメリカ研究卒業。朝日新聞記者を経て、1999年、大学院留学のため渡米。UCLAアメリカ黒人研究学部卒業・修士号。UMass-Amherst、UC-Berkeleyのアメリカ黒人研究学部・博士課程に在籍。黒人史と文化、メディアと人種の問題を研究。2007年からU.S. FrontLine誌編集記者。大統領選を含め、アメリカを深く広く取材する。

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