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- 裏ななつ星紀行〜古代編 万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅 第一話
裏ななつ星紀行〜古代編
万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅
第一話
文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)
- 2016年2月3日
- 2016年1&2月合併号掲載
それはともかく、今回の旅のメイン・テーマは『万葉集』である。日本人の心のふるさと、現存する最古の文学作品。これほど日本人の心に深く入り込み、広く、かつ長く読み継がれてきた書物があるだろうか? あるかもしれないが、いまはないことにして先へ進む。ネームヴァリューでは世界水準の『源氏物語』も、通読(もちろん現代語訳で)した人は少ないと思われる。たいていはマンガや映画などの二次使用をとおして、なんとなく内容を知っているという程度ではないだろうか。その点、『万葉集』に収められた歌は、いつのまにかインプットされている。ある世代以上になると、幾つかの歌は諳んじられる人が多いだろうし、若い人でも「あっ、知ってる!」という歌はたくさんあるはずだ。まさに日本人の文学的遺伝子、キリスト教圏の人たちにとっての『聖書』みたいなものか。
ここで少しおさらいをしておこう。『万葉集』には短歌と長歌をあわせて四五〇〇首余りの歌が収録されている。このうち長歌は、ほとんど『万葉集』のなかにだけ見られる様式で、後代に継承され発展することはなかった。それにたいして短歌のほうは、プロからアマチュアまで、また皇族から庶民まで、大勢の実作者がいる。わが国でもっとも親しまれている文学ジャンルと言えるだろう。ちなみに天皇が自ら歌を詠むという伝統は、『万葉集』あたりからはじまった。なぜか天皇によって書かれた小説は、ぼくの知るかぎりでは存在しない。残念である。いまの皇太子あたりには、ぜひ挑戦してもらいたいと思う。夫婦仲もいろいろあるみたいだし、きっといい作品が書けるはずだ。
閑話休題。『万葉集』の成立は七〇〇年代の後半と考えられている。千年以上も昔の作品なのに、現代のぼくたちが読んでも、それなりに味わうことができるし、楽しむことができる、というのは不思議な気がする。これには五七五七七という短歌の形式が大きく寄与しているだろう。この韻律というか、言葉のリズムが、われわれ日本人にはとても心地よく感じられるのだ。また日本語というのは、五音、七音という音節に馴染むようになっている。日本語自体が、こうした音のリズムとともに発達してきたという側面をもっているらしい。とくに感情表現に赴くとき、このリズムを採用すると不思議にうまくいく、ということを日本人は体験的に知っている。そんなことからも、現在なお多くの短歌の愛読者ならびに実作者が生まれているのだろう。
それにもかかわらずというか、いま言ったばかりのことと矛盾するようだが、『万葉集』に収録されている歌の意味は、厳密に言うと、ぼくも含めて一般的な日本人にはよくわからない。専門の研究者でないと、正確な意味はたどれないと言っていいだろう。専門家でも持て余す歌はたくさんあるらしい。また彼らの解釈がすべて正しいとも限らないだろう。ただ正確な意味はわからなくても、なんとなく雰囲気というか、イメージというか、歌が湛えている抒情みたいなものは、日本人であれば誰でも感受できるようになっている。それは先にも述べたように、短歌が明快な韻律をもった定型詩であるということが大きな理由だと思う。つまり言葉のリズムによって読めてしまう。わかった気になることができるわけだ。英語の歌詞がわからなくても、ロックを楽しむことができるようなものだろうか。
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