裏ななつ星紀行〜古代編
万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅
第五話

文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)

小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、“真の贅沢ってなんだろう?”と格安ローカル列車の旅にでた。

 

9月には彼岸花が稲を守ってくれる Photo © Naonori Kohira

9月には彼岸花が稲を守ってくれる
Photo © Naonori Kohira

 『万葉集』には、春菜摘みの歌が数多くおさめられている。もともと草摘みは、天候の安定や豊作や村落の平穏無事などを祈願するために、共同体的秩序のもとで行われる予祝的な神事だった。この予祝は、神との約束を一定の条件のもとに満たすことによって成就されると考えられていた。その条件として、標(しめ)という標識を立て、神縄などを結び渡して、神域としてその地を表示したらしい。つまり「標結ふ」ことからして、すでに何らかの願望のために神に働きかける魂振り的な行為であったと言える。そうした文脈から、つぎの歌を読んでみよう。

あかねさす 紫野行き 標野行き 
野守は見ずや 君が袖振る(一・二〇)

 この額田王の有名な歌を、「なんて大胆なことをなさるの、わたしに向かって袖を振るなんて。野の番人に見られたら大変じゃないの」と恋歌ふうに解していいものかどうか。むしろ懸命に草摘みをする乙女に悪戯をしかける男(天皇)を、やや遊戯的な気分で軽く戒める歌、というくらいに受け取った方がいいのではないだろうか。標野で草を摘む女性は、神事にたずさわっているわけだから、一時的に禁忌(タブー)の状態にある。いかに天皇であろうと、そのような女性に袖振る(モーションをかける)のは不謹慎な行為であったはずだ。

 同じように、山部赤人のこれまた有名な歌。

明日よりは 春菜摘まむと 標し野に 
昨日も今日も 雪は降りつつ(八・一四二七)

 この歌も、たんに「草摘みができなくて残念だ」という意味にはならないだろう。雪が降って草摘みができないということは、祈願が成就しないということだ。共同体の将来がかかっているわけだから、大変なことだったはずだ。たんなる自然愛好家の歌というよりは、やはり何か霊的な交感が詠まれていると解すべきだろう。

 草摘みが神事的儀礼であったことを示す歌としては、つぎのようなものの方がはっきりしているかもしれない。

いざ兒等 香椎の潟に 白たへの 
袖さへぬれて 朝菜つみてむ(六・九五七)帥大伴卿

時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 
潮干の浦に 玉藻刈りてな(六・九五八)大弐小野老朝臣

往き還り 常にわが見し 香椎潟 
明日ゆ後には 見むよしも無し(六・九五九)豊前守宇努首男人

 大宰府の長官であった大伴旅人が、大納言に任ぜられて大宰府を去り、奈良へ向かうときに詠んだとされる歌である。香椎宮に参詣したあと、一行は近くの香椎潟で海藻を摘んだ。その一首目に、「さあ皆の者、袖の濡れるのも気にせずに、朝餉の藻を摘もうではないか」といった解釈をあてていいのかどうか。現在でも、下関市の住吉神社と北九州市の和布刈神社では、陰暦の大晦日から元旦にかけて、夜中の干潮時に神官が海に入ってワカメを刈り、神前に供えるという神事が執り行われている。旅人たちの歌に詠まれているのも、これに類することではなかったかと思われる。おそらく道中の安全を祈願し、都への帰還を確実にするための、予祝的意味をもつものだったのだろう。
 

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