第40回 ロールモデル

文&写真/樋口ちづ子(Text and photo by Chizuko Higuchi)

8年前の11月4日、珍しい雨の朝、私は近所の家の車庫に設置された投票所に行った。初めて手にした選挙権で米国史上初の黒人大統領候補に1票を入れた。庶民的な雰囲気の中の原始的行為だった。なんだか手元が震えていた。その夜、開票結果を見守る全米の熱狂を思い出す。テレビの前で私も息詰まるような興奮を味わった。車庫で入れた自分の1票と歴史的1ページが結びつくことの不思議な喜びを味わった。

今年の11月も又、ドキドキ、ハラハラするだろう。今年の私の1票は、初の女性大統領誕生に貢献したい。間接選挙ではあるが2政党候補の内、どちらかを選ぶから、直接選挙のような感覚がある。民主党候補のヒラリー・クリントン以上に、知識、経験、実績で大統領職に相応しい人物が他に居るだろうか。彼女はたまたま女性であり、オバマはたまたま黒人だった、というだけにすぎない。

弁護士、ファーストレディ、上院議員、国務長官。経歴一つとっても底力が伺われる。8年前以上に堂々とし、静かな自信に満ちている。女性大統領を迎える米国社会の心理的下地も整い、期は熟した。

彼女は今、68歳だ。一般社会では、平均62歳、遅くても66歳で引退する人が多い。だから68歳は立派に引退者の年齢だ。だがヒラリーはここから最も激務と言われ、おそらく世界最高の権威と責任を伴う、これまで男性だけが占めてきた地位を獲得しようとしている。もう一つの歴史的瞬間が目前にある。

樹齢60年の巨木Photo © Chizuko Higuchi

樹齢60年の巨木
Photo © Chizuko Higuchi

この人は不屈だ。8年前は若く全力で選挙戦に望み、本命だった。だが新星オバマに先を越されてしまった。心底ガッカリしたはずだ。だから密かに引退説もささやかれた。無理もない。既に生涯経歴はキラ星のごとく輝き、普通ならそれで十分だった。しかし、彼女が若き日に心の奥に誓った目標はもっと高い所にあった。政界に歴史的足跡を残すという誓い。だからこそ、この人は諦めない。

アメリカ人女性が最も尊敬する女性のトップを飾るのは、毎年ヒラリーだ。小さな家のローンを払い、子供の権利を擁護する弁護士として自分のキャリアを踏み出した。母となり、ファーストレディとなり、夫の不祥事に耐え、一歩一歩自分の足で自分の道を登ってきた。どの段階でも楽をしているようには見受けられない。追い詰められてもまるで最後の砦のように不動の姿勢で来るものを迎え撃つ。政治の世界に身を置けば、戦場に若者を送り出す決断も迫られる。この人の強靭さ、耐えた葛藤に多くの女性たちが共感し、同情し、信頼し、ヒラリーならできると期待している。

アメリカ人女性が敬愛する女性にはダイアン・ソイヤー(ジャーナリスト70歳)、バーバラ・ウォルターズ(ジャーナリスト86歳)、オプラ・ウィンフリー(司会者/プロデューサー62歳)がいる。それぞれ生まれも育った環境も全く違う。アメリカ社会のダイナミックな多様性を映している。しかし彼女たちには共通した特徴がある。努力家、行動派、異質なものを理解しようとする姿勢、社会貢献、より良い自分になろうとする謙虚さ。どの女性も清々しい。

女性大統領が生まれるその姿を目にすることの影響力は絶大だ。ロールモデルの出現は希望が現実になる瞬間だ。人種や性別に関係なく、最もその資格がある人が米国大統領になる。長い苦悩の末に到達した正義を通す成熟した社会の出現である。

ヒラリーというロールモデルは我々の精神を鼓舞し、より良い自分への可能性に向き合わせてくれる。この1票で歴史の1ページに参加するあの不思議な喜びをもう一度味わいたい。

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樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう37年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

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