第47回 一人の意志

文&写真/樋口ちづ子(Text and photo by Chizuko Higuchi)

風に揺れるコスモス
Photo © Chizuko Higuchi

 渡辺和子さんが昨年12月30日、帰天された。89歳だった。まさに天寿を全うされたと言って良いだろう。その著書「置かれた場所で咲きなさい」という小さな本はなんと二百万部も売れる大ベストセラーとなった。カソリックのシスターだが、本は宗教臭さが微塵もなく、やさしい言葉で、生きる知恵が書かれているから、万人に素直に受け入れられる。それが大人気を呼んだ理由だろう。

 日本は島国で、生まれた地域で一生を終える人が彼女の世代では少なくなかった。だから置かれた場所と運命を受け入れ、その中で自分ができることを明るく精一杯しなさいという言葉は素直に心に届く。私は不信心者だが、なる程とうなずくと同時に、もう一つ違う理由で、彼女を長い間尊敬してきた。

 渡辺さんが9歳の時、当時陸軍大将で教育総監だった父がニ・ニ六事件に巻き込まれ、43発の銃弾を浴びて暗殺された。わずか1メートル先の目前でそれを見た。大学卒業後修道女になり、米国で博士号を取った。帰国後は出身の東京ではなく、岡山に赴任になり、36歳でノートルダム清心女子大学の学長に就任した、という経歴だ。

 日本社会では、自分の属する団体や組織の弱点や欠点を内部の者は言わないのが不文律だ。まして、修道院という特定のイメージと権威を持つ団体では、内部批判はタブーである。しかし渡辺さんは、若くして学長という職につかされたが故に、同僚の嫉妬を買い、いじめられたと、後日だが、はっきりと言われている。与えられた仕事は果したい。しかしそう努力すればする程孤立する。辞めたいと相談に行った相手の神父様に、置かれたところで咲きなさい、という意味の古い格言で諭されたのが、後に本の題名になったのだと説明されている。文句を言うな、黙って受け入れ、できることをしろ、ということであろう。

 聖職者は神の愛に満たされた日々を過ごしているイメージを私は持っていたが、渡辺さんは50歳の時にうつ病に苦しんだことも告白されている。雑誌の対談で、ノーベル平和賞に輝き、世界的に有名なマザーテレサでさえ、実は長い間、神の愛を感じることが出来ない不毛の期間があったことについて触れている。宗教に帰依しているからといって、いつも幸せとは限らない。自分の性格の弱点は相変わらずであり、日々の雑用に神経が擦り切れるのも同じ。それらを消し流す容易な道などないのだと知らされた。自分の欠点にあえて目を向け検証する勇気と、冷静な知性を持つ彼女を私は尊敬してきた。

 と言うのは、渡辺さん以前には、内部批判をすること、弱さを公言して論ずる勇気を持っている人は少なくとも彼女の組織にはいなかったのではないか。真実を知りたい、悪い所は改善したい。その願望と真摯な愛があるからこそあえて取れる静かな勇気がある。内部では大変な反感を買ったはずだ。これまで誰もやらなかったことを初めてした人は、ほぼ確実に反発を受け、批判される。その反発がくることを最初から覚悟し、正々堂々と受け止める勇気を準備する。それでも、やろうとしている事が正しく、意味を持つと信じられた時は行動あるのみだ。他人に相談しないほうがいい。やった事がない人が賛成するわけがない。最後は揺るぎのないものに辿り着くと信じ、一人で一歩を踏み出す。

 渡辺さんはまた、どうしても咲けない時は咲かなくていい、根を伸ばしなさいと言われる。根が深ければ深い程、咲いた時は大きな花になると。

 美智子皇后は時々、渡辺さんをお茶に招き、二人で雑談をされたそうだ。互いの存在に互いが励まされていたのではないか。頭脳、感性、心の広さと豊かさ、精神の高潔さ、人間としての温かさ、身体と外見の清潔な美しさ。それらを持つ 彼女たちの存在は世界に散らばる我々日本女性にどれ程の希望と勇気を与えてきただろうか。すばらしい人が沢山いる社会こそ、成熟した、豊かな社会であろう。

 今は自分で自分を置く場所を選べる時代だ。選んだ場所で咲きたい。咲くのは太古の昔から永劫の未来まで、自分一人の意志にかかっている。

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樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう37年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

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