3人の起業家たち
それぞれのサクセスストーリー

アメリカに夢を求めてきた人、家族の事情で渡米した後に夢を見つけた人。
それぞれの業界でそれぞれの夢を追いかける、3つのサクセスストーリー。

コツコツ取り組んでいれば
チャンスは必ず訪れる

ロサンゼルス郊外ガーデナ市内にある自社ビルで創業時の思い出を語る
Photo © Keiko Fukuda

Maruhide Marine Products, Inc.
プレジデント 河村英夫

 神奈川県生まれの千葉県育ち。高校卒業後に就職した旅行会社で顧客のビザやパスポートの手続きを担当。自身もアメリカ行きを目指し、海外で仕事を見つけやすい日本料理の修業を積んで1967年に渡米。ウニの販売会社の顧問、3人のパートナーで設立した同じくウニの販売会社の共同経営を経て1975年に丸秀を設立して独立。以後、生ウニの卸し業を手がける他、ウニを加工した「雲丹酒盗」を大ヒット商品に育てた。趣味は茶道。自社ビル内に茶室も構える。

紆余曲折の末に独立

ウニに目をつけたきっかけ? 端的に言うと最初は、あるアメリカ人にカリフォルニア産のウニを日本に送りたい、それを手伝ってほしいと言われたことです。相談に乗ってくれ、と。それが1970年くらいだったかな。彼が工場を造って、ウニをサンペドロ(港)から持ってきて、工場で殻を割って綺麗にして、それをロサンゼルスの寿司屋に卸したりしていました。日本にも少しずつ送っていましたね。でもすぐにダメになっちゃったんですね。

その後、僕も含めた3人のパートナーでローズ・インターナショナルという会社を起こしました。これは4、5年続きました。 築地に送り込んで、結構うちのウニは有名になっていたんです。ところがパートナーの1人が日本から売り上げのお金を送ってくれるはずが、1万ドルのうち3000ドルとか4000ドルしか届かなくなって、こちら側の支払いができなくなったんです。結局その会社も潰れてしまいました。そして、1975年に僕1人で経営する人生が始まったんです。ラッキーだったのは、うちの親父がまだ日本で仕事をしていて、大手5社に入る水産会社に相談に行ってくれたんです。その人たちは、ローズ・インターナショナルのことを知っていて、飛行機で僕に会いに飛んできてくれました。そして新しい会社をコーポレーションにしましょう、40%出資しましょう、と言ってくれたんですね。その時は全然お金がなかったけど、実際手元にあった3000ドルにかき集めて足して、やっとまとまった金額にして丸秀を設立しました。

最初の転機になったのは、木箱の下にウニのクズを入れなくなったことですね。昔は綺麗なウニの下をめくると、黒いクズのようなウニが入っていました。どこだってやっていたんですよ。ところが、ダウンタウンのホールセラーに商品を持ち込んだ時に、ある人が僕に聞こえるように「丸秀のは、下に真っ黒いのが入っているからな」って言ったんですよ。それで気づいたんですね。下をめくっても綺麗なウニを箱に敷き詰めようと。それを真っ先にやったもんだから、丸秀に信用がついたんです。

「雲丹酒盗」の味に試行錯誤

その後、1980年代の前半だったかな、それまで1ドル360円だったのが、200円くらいになったでしょう。その為替の変動で一気に儲かりました。ウニ長者? いやいや僕が仕掛けたわけじゃなく、社会の情勢がそうなったからです。でもあの時に思いましたね。真面目にコツコツ取り組んでいれば、チャンスは訪れるものなのだ、と。でもそれは長く続けてないとダメなんですよ。一攫千金なんてものはありませんよ。その波に乗じて、もう1つの商売を始めました。築地という名前のレストランを経営したんです。うちはシーフードを扱っているわけだし、ちょうど寿司屋が売りに出ていたのでね。その経営は女房が15年続けてくれました。

今、JALのファーストクラスの機内食にも出ている雲丹酒盗を開発したのは、2000年くらいだったかな。きっかけは色が悪いウニがもったいないから、なんとかそれを有効活用して商品にできないかなと思ったことです。大企業みたいに研究員がいて開発するわけじゃないから、自分ひとりで試行錯誤して、醤油を酒で薄めて味付けしたり、昆布醤油に一晩ウニを漬け込んだりして、それを瓶詰めにしたわけです。でも、自分の舌でしか試してないから心配でしたよ。大丈夫だろうかって。で、売り込んでみたけれど、これが見事に受けなかったんですよ。最初、日本に送ってもらおうとか、ロサンゼルス土産としてお店に置いてもらおうとか、その関係の会社に売り込みに行きました。「こういうのは売れない」ってはっきり言われましたね。門前払いです。

丸秀所有のウニの工場で(写真提供:河村英夫氏)

キャビアを超える存在に

その時は美味しいものを作れば勝手に売れると思い込んでいました。しかし、それではダメなんですね。独りよがり。美味いものを作っても、それをたくさんの人に知ってもらわなければ売れません。不味いものでも宣伝すれば売れます。だから、美味いものなら宣伝すればもっと売れるわけです。それに気づかなかった。だから、雲丹酒盗を知ってもらうために、雑誌に広告を打ちました。そうしたらお客さんはちゃんと来てくれました。商品が知れ渡ると、最初、門前払いした会社も雲丹酒盗を扱ってくれるようになりました。今では、ギフト会社のカタログにもちゃんと紹介されています。当時はそうなることを夢に見ていたけれど、現実になるとは思いませんでした。

目指すゴールはウニを、キャビアを超える存在にすることです。私に言わせれば、キャビアはただの魚の卵の塩漬けですよ。ウニの方が高級なんだと、みんな、それを知らないだけだと。キャビアは売り方が上手なんです。ウニも、もっと高級な料理にも使われるようにならないといけない。ちなみにラスベガスのロブションの料理には丸秀のウニが使われているんですよ。今では英語でUniと言えば通じますからね。ウニもキャビアにかなり追いついてきているんじゃないかなと思いますね。

アメリカでもウニを高級食材に押し上げるべく取り組みを続ける
(写真提供:河村英夫氏)

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