寿司ロボットを米国へ
市場に眠る600億ドル分のチャンス

TOP INTERVIEW Vol.7
アメリカ市場に勝負を賭ける日系企業のトップに聞く。
AUTEC Inc. CEO
田中 上千 / Takayuki Tanaka

Photo © Keiko Fukuda

出発点はレコード針

 AUTECの出発点は、東京の町田にあるAudio Technicaというレコードの針を作っているメーカーです。レコードからCDの時代になり、ビジネスが低迷していた1984年、子供向けの「にぎりっこ」という寿司ロボットを開発して売り出したのに続いて、業者向けの寿司ロボットを日本の市場に送り込み、大ヒットを記録しました。そこでアメリカでも寿司の需要が広がっていた2000年に、寿司部門では初の海外拠点としてAUTECの米国法人をシカゴに設立したのです。しかし、シカゴの人に握り寿司は馴染みが薄かったことなどがあり、苦難の連続だったようです。仕切り直しで2002年に、既に3000軒以上の日本食レストランがあったカリフォルニア州に会社を移転しました。
 

撤退回避し独立

 私がAUTECに入社したのは2004年です。2000年に名古屋の高校を卒業して、ロサンゼルス郊外のクレアモント大学に留学、卒業後にOPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)ビザで仕事を探していた時、派遣会社に登録した10分後、電話がかかってきたのです。聞けば、日系の企業が見本市に出展する際のアルバイトが必要だということでした。そこでテンポラリーで働いた後、そのまま、派遣先企業だったAUTECに入社。2007年に駐在の方が帰任するタイミングで、私がジェネラルマネージャーとなって現地化を進めました。ところが、2009年、撤退の危機に見舞われました。経済不況とそれまで結果が出ていなかったことが要因でしたが、すでに顧客は付いていたし、アメリカで独自に開発した新商品もあり、スタッフもいるという状況の中、私はどうしてもアメリカに残ってチャレンジを続けたいと願いました。親会社には「日本に帰ってきて海外課で働いてほしい」とのオファーももらいましたが、それでは北米市場でのビジネスはストップしてしまいます。

 そこで増資ではなく、親会社から支援金を提供してもらう形で、2010年に独立、私自身がCEOに就任しました。そして独立初年度から黒字を達成したのです。 アメリカ進出から10年かかりましたが、その時期に健康食品ブームが起き、日本食がより注目されたことやスマートフォン等のインフラの改善が理由で、寿司ロボットを知ってもらう機会が増えたことが理由ではないかと分析しています。
 

米の日本食店、10年で2.5倍に

 AUTECのブランドが認知された要因? それは寿司が日本から来た職人だけのものではなくなり、弊社の寿司ロボットを食品スーパーやテイクアウト寿司レストランで見かけたことなどもきっかけとなり、アジア系アメリカ人、さらにはアジア系以外の方も、自分たちでも寿司屋や日本食レストランを開けると思っていただけるようになったことが大きいと思います。弊社のセールスの人間は、寿司の現地化を目指し、新規開店の時はオープニング準備から手伝って、食品卸業者を紹介したり、一緒になってメニューを考えたりしてきました。

 この10年でアメリカの日本食レストランの数は2.5倍になりました。しかし、寿司職人の数は2.5倍まで増えていません。また、今後、全米各地で最低賃金が上がっていきます。さらに競争が激しくなり、レストランが良い人材を採用することがますます厳しい時代を迎えます。弊社の寿司ロボットがあれば、1時間に200ロール以上もの巻き寿司、1400枚の巻き寿司用のライスシートを作ることができます。一方、人が作る巻き寿司の数は1日200ロールが限界といわれています。

 アメリカではハンバーガーの市場は年間700億ドル。日本食は100億ドルです。そこには600億ドルの差があります。私はそれだけの伸び幅があると捉えています。日本食には、あと600億ドル分のチャンスが眠っているのです。

PROFILE
高校時代の留学経験を契機に名古屋の名城高校を卒業した後に渡米し、クレアモント大学を卒業。大学では経営学のピーター・ドラッカーの講義を受けた。卒業後にAUTECに入社、ジェネラルマネージャーを経て2010年に親会社からの独立と同時にCEOに就任。同社は2017年6月にニューヨークにショールームをオープン、現在はLA、シカゴと合わせて3拠点を展開。

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