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教育 - 大学の組織と経営
文/在米日本人フォーラム(Text by Japanese Forum USA)
- 2017年8月1日
大学を経営するのは誰?-アメリカと日本の違い
1.大学の経営と教育の分離
アメリカの大学の多くは、その経営と教育が分離されているようです。大学経営全体を担う学長(President 又はCEO)は広く外から求められ、その職責は大学の経営に専念することにあり、教壇に立つことはありません。
学長の人選には、Board of Trustees(理事会)が決定権を有します。そのBoard of Trusteesは、同大学のOB・OGを始め学外からの有識者(政治関係者、事業経営者も含め)、時には学内教授によって構成されています。通常の教授はObserverとして必要な案件に関して参加しますがTrusteeのMemberには入っておらず、投票権を持っていません。
このように大学の教育と経営が分離されることによって、大学経営が効率的に運営され、教育の面では教授の方々が専念するという利点が活かされているように思えます。大学の経営は、一般の会社経営と同じコンセプトで行われていると考えて良いでしょう。
学長の資質としては、教育に対する理念、信条、それに経営能力は当然ながら、資金調達が重要な任務の一つであり、資金の調達先を、連邦政府、州政府、財団、企業、卒業生、個人等と非常に幅広く求める必要があります。従って政治力と共に人的ネットワークの強さと幅広さが大切となります。
このアメリカの大学経営の在り方を、日本の大学に取り入れることは、大学経営を経営のプロによって為されることによって効率的運営が可能になり、教授の方々を大学経営から解放することで教育・学究に専念できることになるのでは無いでしょうか。日本のノーベル賞受賞者がもっと増えるかも知れません。
2.資金の運用方法及び使途
資金の運用方法及び使途については、一般企業が最大の投資効率(ROI = Return of Investment)を見込める事業に投資するように、大学でも限られた資金を最も成果を上げ得る貢献度の高い研究に投入するのが当然とされています。
そのため、学長の権限の中には成果を出せない研究への資金供与の削減や停止、またその対象となる教授の罷免権も有します。一方で、学長でさえ期待された経営能力や政治力が発揮できなければ罷免されます。
この罷免の対象は、アメリカの大学では教授のみに留まらず、准教授、助教授、講師のいずれもが対象となります。これは、一度教授になると定年まで退職することのない日本の雇用体制と大きく異なる点であり、この体制の在り方も大いに参考に値するのでは無いでしょうか。
3.日本とアメリカの組織の違い
組織の在り方の違いが一体どこにあるかを考えてみますと、感覚的なイメージとしては、制度的に年功序列に基づき古参教授を頂点とするヒエラルヒー組織の閉塞的な日本と、開放的柔軟的なアメリカの組織という違いがあるように思えます。念のためですが、これはあくまで教育に関して全くの部外者の目から見た極めて感覚的な主観及び見解に過ぎません(間違っているかも知れません)。
さらに、アメリカと日本の別な違いは、資金調達力の差です。アメリカでは、資金の財源を公のみならず民間からも幅広く求め圧倒的な調達力を有します。日本の大学には資金調達力の力強さは感じられません(これもあくまで私見です)。
参考: (以後、「私」と一人称で表現される文章は、JFUSAのメンバーの一人の実際の体験談です。)
私の息子が卒業したワシントン大学(ミズーリ州セントルイス)に関して、同大学の民間からの寄付の額は、2.9億ドル(2016年)、連邦学究基金 (Federal Research Fund) が5億ドル(アメリカの私立大学の中で7番目)、それと当該大学のみでノーベル賞受賞者を今まで25人輩出しています。大学自らが一般から獲得する寄付金の規模の大きさは驚愕させられます。
4.ある大学教授からの反論
パーデュー大学(インディアナ州ウエストラファイエット)のある教授に、私がまとめた上記の所見を読んでもらい意見を求めました。パーデュー大学は、根岸英一教授(同大学に在職中)と北海道大学の鈴木章教授(同大学で学究)が、2010年にノーベル化学賞を受賞されたことで、日本でも一躍有名となりました。
(a)経営と教育が分離されていることは事実であり、現在のパーデュー大学のプレジデントは、Mitchell E. Daniels Jr.で、2012年6月に現在の学長(President & CEO)に就任。その前は、彼はインディアナ州知事であり、その任期終了後にパーデュー大学のプレジデントに選出されました。アメリカの大学のトップは、教授の中から選出されない端的な例と言えます。
(b)私たちの提言の中に、アメリカの大学では、経営と教育が分離されることで、教授達が教育に集中できる環境にあると言う点に関し、意見を求めた或る教授の方から次のような訂正のメッセージを頂きました。
アメリカの大学の経営が教育と分離されていることで教授が学究に集中できるという言葉にはあまり馴染めません。もちろん、ノーベル賞を受賞されるような教授のレベルになるとまったく話しは違うとは思いますが、一般的な教授たちは研究者であり、教師であり、日々のクラスの授業の準備に忙殺されています。
またご存知のように教授は、生徒、上司、同僚から常に評価され(Evaluation of Teaching)、同時にビジネスマンであり、グラント(資金)は自分自身で獲得してこなければなりません。大きな組織の一員として会議や大学としての雑事に追われる立場でもあります。これら全てが仕事の一部です。
大学全体の運営は教授達によって為されていないとしても、個々の教授にとっては、自分の研究分野への資金の獲得、クラスの教育内容の高度化、Teaching評価への努力などなど、政治力、経営力、コネクション、及び自己能力の研鑽が欠かせません。これらを怠れば自分の教授のポジションを失うことも事実です。自分の学究だけに没頭できるとは必ずしも言い難いです。
(c)私は、大学の経営と教育を分離されることで教授の方々が経営から解放されると冒頭に書きましたが、執筆者として浅薄な意見を訂正させていただきます。
アメリカの大学の経営は、確かに教育現場からは独立していますが、インタビューをした教授の言葉のとおり、教育現場そのものが単に教育と学究のみに専念できる場ではなく、そこも一つの経営手腕が問われる場であることを再認識させられました。
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