テクノロジーの発展で、人々の働き方も生活の仕方も激変している。買い物は自宅のPCからアマゾンなどにアクセスして求める品を注文し、数日後にはそれが玄関先に届く。日々のグローサリーでさえ、誰かが代行し、食材を届けてくれる日も近い。行き着く先はどんな社会になるのか、そら恐ろしい。効率の良い仕事、効率の良い収入、効率だけを追い求める社会に寒々しさを感じるのは私だけだろうか。
行員が少なくなった銀行の窓口で迷惑顔で言われた。ここに来なくても預金もお金の移動もオンラインでできますよ、と。しかし、私は銀行の次はモールに行き、それからグローサリーと、5・6件の用事を一度に済ませるつもりだった。そこで会う人々やお店、通りの様子から、街の活気や停滞を肌で感じる。家にいてはその空気が分からない。しかし、それを説明するのは面倒なので、ニッコリ笑って答える。「あなたに会ってお話ししたいんですよ」と。あながちウソでもない。お客も店員もいないガラガラの大きなデパートの売り場。寂しいを通り越して、痛々しい。解雇された人は、どこかに再就職できただろうか。仕事が次々に消えてなくなっているのが現状だ。
40年前、米国に来て、グリーンカードを申請し始めた時、夫が仕事でイランに行くことになった。当時中近東の国は遠い異国で、想像もできない場所だった。だからこそ、夫に便乗して行ってみたかったが、グリーンカード申請中は国外には出られない。来たばかりで英語もろくに話せず、車も運転できず、アパートのプールで泳ぐ以外は質素な一室に閉じこもり、ひたすら夫からの手紙を待っていた。国際電話など考えられない時代で、交信手段は手紙しかない。ところがその手紙もなかなか来なかった。イランで出した手紙が米国に着くのに1カ月もかかっていた。夫は3カ月の契約だったが、1カ月を過ぎた頃から当時イラン政権を握っていたシャーの暗殺計画が勃発し、映画館が爆破され、革命が始まった。身の危険を感じた夫は仕事の途中で帰米することになった。そんな時に、やっと初めて彼の手紙が届いた。異国の匂いや温もりを感じながらその手紙を開いたあの日を、昨日のことのように思い出す。イランの空気がそのまま封筒から流れ出るような感覚があった。それはきっとその手紙を私が待ち焦がれていたからだろう。夫はラスベガスからニューヨーク、ロンドン経由でイラン入りし、帰りはインド、香港、日本経由で帰米したから、ちょうど飛行機で世界一周したことになる。彼が帰米した後に、一通、二通と、イランから出した彼の手紙が届いた。1カ月の時差のある手紙を、不思議な気持ちで読んだ。
軍人の夫が戦地に行き、戦死を知らされた後に夫が書き送った手紙を一通、二通と受け取る妻もいるかもしれないと、その時にふと思った。この世とあの世の中間のどこかで、妻は夫と二人だけで、泣いて互いの愛を抱きしめあったに違いない。
83歳で亡くなった日本の父は長い間、寝たきりだった。ある日、今日は気分がいいからと起き出し、庭に柿の木を植えたそうだ。そして郵便局に行って米国の私に船便で小包を送ってくれた。その翌日、亡くなった。1カ月後、私はその荷物を米国の郵便局で受け取った。それは母が私のためにあつらえてくれた何十枚もの本絹の着物がつまったもので、大きく、重いものだった。こんな重いものを弱っていた父がよく運べたと、驚いた。受け取る時、まるで父の亡骸を受け取るような気がして、涙が溢れた。
送った時と受け取る時に、これだけの時差があると、人は現実の世界から遠く離れた静かなところにゆく。生活がかすみ、人生という自分が生きている時間の全体がはっきりと見えてくる。待っていたのは物ではなく、物の背後にある人の愛であることが見えてくる。だから、待っている物がたくさんあるほど人の愛が届き、生きる時間が深く満たされたものになってゆくのではないか。
効率を追い求める世の中では、待っている時間がない。時間の中で発酵する人の愛を待つことがない。それが生きる世界を薄っぺらにしているのではと、私を不安にする。待っていればいつかは届く。すりきれた小包が、汚れた手紙が、愛しいもの、大切なものを運んでくれる。人の愛を受け取りたい。届けたい。
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