“Live Your Dream”
「夢を生きる テイラー・アンダーソン物語」レジー・ライフ監督に聞く

文/佐藤美玲(Text by Mirei Sato)

テイラー・アンダーソン。バージニア州生まれ。小さな頃から、なぜか心を惹かれた日本。日本語を勉強し、日本へ行きたいという夢を叶えるため、JETプログラム(語学指導などを行う外国青年招致事業)に応募。宮城県石巻市に派遣され、子供たちに英語を教えながら、日本での生活を満喫していた。来日して2年半。アメリカへ戻るか日本に残るか、悩みながらも将来を思い描いていた矢先、東日本大震災が発生。万石浦小学校にいて子供たちを避難させた後、自転車に乗って自宅へ。それが最後に目撃された姿になった――。

Courtesy of Taylor Anderson

Courtesy of Taylor Anderson

 東日本大震災で犠牲になったアメリカ人、テイラーさん(当時24歳)の生涯を、家族や恋人、友人、JETの教師仲間や同僚たちの言葉で振り返るドキュメンタリー映画が、「Live Your Dream: The Taylor Anderson Story」(邦題「夢を生きる テイラー・アンダーソン物語」)だ。

 キックスターターなどを通じて一般からの支援を得て、2012年に完成した。夢を追って精いっぱいに生きたテイラーさんの姿は多くの人の共感を呼び、大震災から4年が過ぎた今も、日米両国の各地で上映が続いている。

 監督兼プロデューサーは、日本とアメリカを拠点に、言葉や文化、人種の壁を乗り越えて夢に向かって生きる人たちの姿を撮り続ける、レジー・ライフさん。映画に込めた思いやメッセージを聞いた。
 

このドキュメンタリーを撮ろうと思ったきっかけは?

レジー・ライフ監督 Photo by Hirota Aotsuka

レジー・ライフ監督
Photo by Hirota Aotsuka

 震災が起きたとき、私はワシントンDCのハワード大学で教えていました。同時に2010年に起きたハイチ大地震のドキュメンタリー(「Reason To Hope: The Earthquake in Haiti」)の制作も最終段階に入っていました。ある夜、家に帰ると、妻がテレビのニュースを見ていました。DCでは地上波で日本のNHKをほぼリアルタイムで見られるのです。それで震災を知りました。

 大学に行きながら日本の様子を気にかけていましたが、テイラーの名前を知ったのはインターネットでだったと思います。日本にいるアメリカ人の安否を心配するメッセージがネット上をかけまわっていました。彼女の遺体が見つかって、残念で悲しく思いましたが、同時に、これほど多くの人が心配しているテイラーって、一体どんな人だったんだろう、と思ったのです。

 幸運なことに、私には、元JETで日本に行き、今は日米関係のさまざまな団体で役職に就いている友人が沢山いました。彼らを通じて、テイラーの父親、アンディーに伝言を頼みました。同じアメリカ人として、日本につながりのある人間として、お悔やみを伝えたかったのです。そして、いつか、テイラーの人生や残したものを記録したいと思うときがきたら、私も会話に加えてほしいと伝えてもらいました。

 アンディーからEメールが届いたのが6月です。それからメールや電話を通じて、テイラーのエピソードや思い出を少しずつ聞くようになりました。たまたま別の映画の仕事で秋に日本へ行くことになっていたので、東北へも行ってテイラーの友達や同僚に会いたいと思いました。アンディーに頼んで、紹介してもらいました。

 新幹線で仙台まで行きましたが、電車は東仙台までしか通っていなくて、テイラーの友達の一人が車で迎えにきてくれて、石巻まで行きました。高速道路を走っているときは分からなかったけれど、石巻に近づくと、どれだけ大きな津波だったのかを実感しました。市内の高台にある日和山公園で、テイラーのもう一人の友人にも会い、ドライブして被災地の様子を見せてもらいました。夜は、テイラーが毎月1回、JETの同僚たちを集めて会っていたというレストランに行って、話を聞きました。

 テイラーの家族と会ったのは、その年の11月です。サンクスギビングの翌日に、リッチモンドへ行きました。アンディー、母親のジーン、テイラーのきょうだいが温かく迎えてくれて、サンクスギビングのレフトオーバーを食べながら、「映画をつくりましょう」ということになったのです。

どんなアプローチで撮ろうと思ったのですか?

 震災のあと、テイラーは、ニュースメディアによって一種の「シンボル」にまつりあげられていました。自宅の前に、1週間にわたって、テレビニュースのトラックが何台もとまっていたそうです。「津波の犠牲になったかわいそうなアメリカ人」「被害者」。そんなイメージで語られていました。

 テイラーの家族や友人たちは、メディアに質問されることに飽き飽きしていました。「そんなのテイラーじゃない」「テイラーは被害者なんかじゃない」と。

 テイラーは、日本で、まさに夢を生きていました。だから、映画をつくるのなら、夢を生きるという生き方、恐れることを知らない、妥協しないでフルに生きるということを描こう。そんなテイラーの生きざまを記録しよう。遺族と一緒にそう決めたのです。

 非常に多くの人がテイラーのために何かしたいと思っていたので、制作の資金はキックスターターやクラウドファンディングで集めました。私にとっては初めての試みです。寄付の金額は1ドルの人も5000ドルの人もいましたが、みな平等に、映画のエンドロールでクレジットに入れました。

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