ドジャース新監督は沖縄生まれ! デーブ・ロバーツ氏、球団史上初のマイノリティー
文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)
- 2015年12月2日
”Welcome Home, Dave!”(おかえり、デーブ)
12月1日、ドジャースタジアムは、旧友のホームカミングを迎える人たちでごった返し、あちらこちらで笑顔とハグが交わされた。
メジャーリーグ(MLB)のロサンゼルス・ドジャースの新監督に、デーブ・ロバーツ氏が就任した。
南カリフォルニア・サンディエゴ育ち。UCLA(ロサンゼルス)に進学し、1991〜94年、野球部で活躍した。残した盗塁「109」は、いまでもUCLA野球部の歴代ナンバーワン記録だ。
1999年から2008年までメジャーリーグで活躍し、2002〜04年にドジャースでプレーした。センターを守る外野手として、302試合に出場。打率2割6分2厘。118盗塁(成功率82.5%)を決めた。
特に、ボストン・レッドソックス在籍中の2004年、ア・リーグ決勝シリーズ、宿敵ニューヨーク・ヤンキースとの第4戦。ロバーツ氏が9回に決めた、ドラマチックな2塁盗塁は、ファンの記憶に残っている。0勝3敗でこの試合を迎え、あとがなかったレッドソックスだったが、この勝利で勢いに乗り、大逆転でヤンキースを退けた。
2010年からサンディエゴ・パドレスのフロント・オフィスに入り、過去2シーズンは、パドレスでベンチ・コーチを務めていた。
ドジャースが選考した9人の監督候補の中から選ばれて、古巣に戻ってきた心境を、「エキサイティング。人生がひと回りしたような感じだ」と語った。ドジャースを率いるのは、「dream job」。あこがれた、夢のような仕事だ、とも表現した。
ロバーツ氏は、43歳。日本・沖縄で生まれた。アメリカ海兵隊員のウェイモンさんと、那覇出身の栄子(えいこ)さん。二人の出会いが、第10代ドジャース監督を生むことになろうとは・・・。
記者会見に同席した父と母は、「信じられませんよ」と感慨深げに話した。
黒人と日本人の血を引くロバーツ氏は、ドジャースの球団史上、初めての「非白人」、マイノリティーの監督である。その歴史的な意義について、ロバーツ氏は、「最初にオファーをもらったときにはどれだけ大きなことか考えていなかった」という。が、「多くの人が道を切り開いてくれたと思う。ドジャースの最初のマイノリティーの監督であるということの責任を、決して軽くはとらえていない。一生背負っていくものだと思う」と話した。
ロサンゼルスには、北米で最大の沖縄出身者とその子孫のコミュニティーがある。県人会の活動も盛んだ。日系人であるロバーツ氏の地元チームへの監督就任、それも歴史的な就任を、だれもが歓迎している。
記者会見で、コミュニティーからの応援やプレッシャーをすでに感じているか、と聞いてみた。
「沖縄、ジャパン、は、私にとっては、母を意味します」と、ロバーツ氏。コミュニティーからの支援は感じているそうで、「プレッシャーはまだ受けていないけれど、そのうち出てくるかもね」と、栄子さんのほうを見やって笑っていた。
ロバーツ氏には、母方の親戚がたくさん沖縄にいる。栄子さんの妹と弟、94際になる母・トミさんも、元気で沖縄に暮らしている。監督就任のニュースを聞いて、みんなからお祝いの電話がかかってきたそうだ。
栄子さんは、「とっても嬉しいです。まさかここまでくるとは思っていませんでした。誇りに思います」と話した。「もっともっとがんばってほしいですね」とエールも忘れなかった。
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