光田一昭
総合建設業者(ジェネラルコントラクター)

文/福田恵子 (Text by Keiko Fukuda)

 高度な資格や専門知識、特殊技能が求められるスペシャリスト。手に職をつけて、アメリカ社会を生き抜くサバイバー。それがたくましき「専門職」の人生だ。「天職」をつかみ、アメリカで活躍する人たちに、その仕事を選んだ理由や、専門職の魅力、やりがいについて聞いた。

「必要なのはコミュニケーション力と柔軟性
作品となって残る『ものづくり』が魅力」

 私の仕事は建物にかかわるすべて、と言っていいと思います。設計や工事はもちろん、許認可をとる手続きまで含まれます。現在は、オフィス、店舗、レストラン、工場、住宅とあらゆるカテゴリーの建築物に携わっています。

 兵庫の実家も建設会社で母が経営しています。いずれは会社を継ぐ気持ちはありましたが、大学を卒業したらまずは中堅から大手のゼネコンに就職したいと思っていました。しかし、日本の大学を卒業した1998年は就職氷河期だったため、そのまま就職せずにアメリカの大学院への進学という道を選択しました。そして、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校の土木工学大学院を修了する前に転機が訪れます。バレーボールを通じてロサンゼルスで知り合った日本人の妻がまだ大学院生だったので、私も帰国せずにこちらで就職することにしたのです。そこで建設会社に片っ端からレジュメを送り、さらに人材派遣会社に登録して2003年にオレンジ郡にある日系の建設会社に就職しました。

 アメリカで建設の仕事に携わって、初めてぶつかった壁はコミュニケーションに関することでした。日本では下請けはゼネコンに従うというのが一般的な流れですが、アメリカではむしろ現場の方たちのスケジュールが尊重されます。こちらの都合を言ってもその通りに動いてくれるとは限りません。また、許認可関係の検査官とのやりとりにも、最初の頃は苦労させられました。スタンダードがあってないような世界で、検査のたび、それぞれの検査官によって、何がOKで何がNGかがまったく異なることがあるのです。ですから、現場とのコミュニケーション、検査官とのコミュニケーションにも正解というものがなく、前回うまくいったからといって今回も同じようにいくとは限らないのです。それを少しでもスムーズにするのは人間関係の構築と自分自身の経験の蓄積ですね。自分自身が数多くの物件を担当して経験値を積むこと、そして一緒に働いた数多くの人との信頼を築き、「彼の仕事なら大丈夫だ」と思ってもらうことで、問題は解決できるようになったと思います。ちなみに12年前に社会に出てから現在までに延べで500件程の建築物に携わってきました。

 最初にすべての工程を自分一人で担当したのは、ロサンゼルス近郊にある日系の工場でした。業界用語ではラウンドアップと言うのですが、コンクリートの壁造りから完成まで全部を任された仕事だったので、終わった時の達成感はひとしおでした。あの時に「これで自分はアメリカでもやっていける」という実感が得られました。

ビジネスチャンス逃さずテキサス支社を設立

 独立したのは2010年です。この時、リーマンショックの影響で建設業界は不景気でした。当時は新卒で入った会社から別の会社に転職し、役員まで務めさせてもらっていましたが、「危機こそチャンス」だと思い、独立を決心、ホームオフィスから仕事を始めました。景気は悪かったものの、まだ若かったですし、上に行くことはあっても、これ以上下に行くことはないだろう、という気持ちでした。おかげさまで特に宣伝しなくても紹介が続いて、1年経たないうちにビジネスは軌道に乗りました。一人で始めた会社でしたが、今は自分を含めて9人のスタッフが働く会社に成長しました。

 この仕事のやりがいは、やはり「ものづくり」に携わっているということにあります。手掛けた仕事が形として残るため、何年かごとに振り返って自分の仕事に思いを巡らすことで充実感を得ることができます。また、家族や周囲の人にも自分の仕事を実際に見てもらうことができるのも喜びです。

 そして建設業に携わる人間に一番必要な適性は何かと問われたら、それは柔軟性だと答えます。毎回、毎回、造る内容も異なるし、時代や顧客のニーズに応じて臨機応変に対応していかなければなりません。その時、その時の状況に合わせて違う視点から物事を考察する力が強く求められる仕事だと言えます。

 最近のグッドニュースはテキサス支社を立ち上げたことです。トヨタ本社がテキサスに移動すると聞いて、すぐに行動を起こしました。テキサスには日系の建設会社がまだ少ないですし、私たちのような若い会社にとっても、サプライヤーさんの移転や日本食レストランの開店が大きなビジネスチャンスにつながると確信しました。(現在、北米トヨタ本社がある)トーランスだって、トヨタができる前とできた後では街の様子がまったく違うはずです。

 将来の計画として、5年後には日本の実家の事業を本格的に継いで、日本とアメリカの会社の両方を経営していきたいと考えています。実際、私はアメリカでしか働いたことがないので、日本で仕事をすること自体は大きなチャレンジではあります。しかし、こちらで積んだ経験を来るべき日に日本で活かせるように、今は精一杯仕事に取り組んでいきます。

Mitsuda-san

My Resume
●氏名:ミツダ・カズアキ(Kazuaki Mitsuda)
●現職:建設会社「Tsukuru USA」代表
●前職:日系建設会社役員
●取得した資格:Licensed General Contractor
●その他:趣味はバレーボール。モットーは「危機こそチャンス」。
●ウェブサイト:www.tsukuru-usa.com

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福田恵子 (Keiko Fukuda)

福田恵子 (Keiko Fukuda)

ライタープロフィール

東京の情報出版社勤務を経て1992年渡米。同年より在米日本語雑誌の編集職を2003年まで務める。独立してフリーライターとなってからは、人物インタビュー、アメリカ事情を中心に日米の雑誌に寄稿。執筆業の他にもコーディネーション、翻訳、ローカライゼーション、市場調査、在米日系企業の広報のアウトソーシングなどを手掛けながら母親業にも奮闘中。モットーは入社式で女性取締役のスピーチにあった「ビジネスにマイペースは許されない」。慌ただしく東奔西走する日々を続け、気づけば業界経験30年。

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