ネパール地震の現場から〜
心の安心を取り戻す小学校

文&写真/川畑嘉文(Text and photos by Yoshifumi Kawabata)

Photo © Yoshifumi Kawabata

壁がなくなってしまった山間部の小学校。教室の隣には険しい崖があり、余震が起きれば崩れてしまいそうだ
Photo © Yoshifumi Kawabata

 ネパールの山間部にある小学校。その教室には壁がなく、屋根を支える柱もか細いため、バランスを崩して今にも倒れてしまいそうだ。そんな危うい教室で生徒たちは先生の話に耳を傾けていた。
 ここは首都カトマンズから舗装された道を西に2時間ほど進み、さらに未舗装の山道を2時間走ると到着するダディン郡の小さな村。この村の小学校は、2015年4月に発生したマグニチュード7.9の巨大地震で崩壊してしまったのだ。中央政府は危険を伴う校舎の使用を禁止しているが、村には新校舎を建設する予算がないため、既存の校舎で授業を行わざるをえない。

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校舎が使用できなくなってしまったために、急遽こしらえたトタン屋根だけの青空教室で学ぶ生徒たち
Photo © Yoshifumi Kawabata

 ネパールは教育に力を入れているため就学率はパキスタンなどの周辺国と比べると高い。日本の外務省によると、1年生から5年生までの初等教育では95.3%にものぼる。それでも小学校に通えていないのは、学校までのアクセスがない、少数民族であるために言語が通じないなどの問題があるが、貧困も大きな理由となっている。
 ネパール山間部の村々はカトマンズと比較すると目をみはるほどに貧しい。主だった産業と言えば農業と畜産業ぐらい。大きな建物はほとんどなく、どの家族もレンガ造りの小さな平屋に暮らしている。

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写真左下が地震で被害を受けたダディン郡の小学校。崩落の危険があるために、
半壊状態にある校舎の使用は禁止されているが授業を行っていた。青い屋根の建物は建設中の仮設校舎
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 かろうじて電気は通っているが、水道はないから近場の水源からホースで引っ張ってきているだけ。もちろん村にスーパーマーケットなどあるはずもなく、小さな商店で必要なものが手に入らなければ、何時間もかけて麓の町まで下りなければならない。車道があれば良いが、車が通れないほど険しい山中に存在する村もあるから大変だ。もっともほとんどの人々は車を所持していないのだが。

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家が崩壊したために家畜の餌置き場で暮らす家族。
新しい家を建てるだけの資金はないと言う
Photo © Yoshifumi Kawabata

 このような貧しい生活の中では、親が教育の重要性を認識せず、家計を手助けするために働かされている子どもも多いのだ。授業を通して知識を習得し、学校生活の中で友人たちと接することで様々な知恵や感情を育むことが貧困から脱出するための助けとなる。
 そんな大切な場所を大地震は破壊してしまった。ユニセフによると、地震によりネパール全土で3万2567棟もの学校が全壊し、28万5255棟が半壊もしくはヒビ割れなどの被害を受けた。結果、99万9000人もの子どもたちが学校に通うことができなくなってしまったのだ。

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ところどころに地震の爪痕を残すカトマンズ市内
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 そんな中、日本の国際NGO「AAR Japan」が現地で活動を行っていた。教室が全壊し勉強ができなくなってしまった子どもや、危険な環境で学ぶ子どものために簡易校舎を建設しているのだ。簡易と言っても土台はレンガ、支柱は鉄骨、屋根はトタンを用いるから5年から10年は使用できる。活動地域はダディン郡の村々で、52教室を提供する。
 食料や生活必需品の援助、家屋補修などの支援に比べると学校支援の緊急性は低いと見なされ、後回しにされることもある。しかし、AAR Japanのスタッフ土川大城さんは、「壊れた学校で学ぶのは地震直後の状態を思い出させるために精神的にもよくない。安全な教室で学ぶことは子どもたちが震災から復興して前に進んで行く第一歩になる」と、学校は教育の場だけでなく心の安定を取り戻す場であることを強調した。

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地震で足を切断した男性。バリアフリー化された
障害者たちの集まるキャンプで暮らしていた
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 AARの建てたカリカ小学校で学ぶ1年生の少女スベイチャちゃん(6歳)は、将来はお医者さんになって村のみんなを助けるという夢を抱いている。
 「経済的にも知識的にも充実して自分の人生を幸せにするだけでなく、周りに困った人がいたら助けられる能力を持ち、ネパールを強く豊かな国にしていってくれればうれしい」と土川さんは子どもたちを温かく見つめていた。
 都市部に比べ復興が非常に遅れている山間部だが、各国の支援団体の協力により少しずつだが被災者たちも笑顔を取り戻しているようだった。

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AAR JAPANによって建てられた仮設校舎で学ぶ子どもたち
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川畑嘉文 (Yoshifumi Kawabata)

川畑嘉文 (Yoshifumi Kawabata)

ライタープロフィール

千葉県出身。ペンシルベニア州立大学政治学部国際政治学科卒業後、本誌フロントラインに勤務。2001年9月11日、ニューヨークを襲った中枢同時多発テロの現場グラウンド・ゼロに、おそらく日本人として最も早く侵入し、シャッターを押した。その後日本に帰国し、撮影事務所での修行をへて、2006 年、フリーのフォトジャーナリストに転身。貧困や難民問題、自然災害などをテーマに、アフリカ、アジア、南米などの途上国で取材を続けている。2014 年4月、シリア難民の子供たちを撮った写真が、日本写真家協会コンテストの金賞を受賞した。著書に「フォトジャーナリストが見た世界:地を這うのが仕事」。

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