裏ななつ星紀行〜古代編
万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅
第四話

文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)

小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、“真の贅沢ってなんだろう?”と格安ローカル列車の旅にでた。

 

大和独特の太陽の光が織りなすレンブラント現象 Photo © Naonori Kohira

大和独特の太陽の光が織りなすレンブラント現象
Photo © Naonori Kohira

 古代の自然観においては、天候や気象もしばしば霊的なものとのつながりにおいてとらえられていた。彼らにとって自然は、多分に神的なものだったのだ。前回もご紹介した、磐姫皇后の歌を見てみよう。

秋の田の 穂の上(へ)に霧(き)らふ 朝がすみ 
いづへの方に わが恋ひやまむ(二・八八)

 ここで詠まれている「朝霧」は、田んぼの稲穂の上にぼんやりかかっている水蒸気というよりは、もっと霊的なニュアンスをもっていたのかもしれない。鳥が死者の霊の具現化したものと考えられていたように。ここでは霧が、そのようなものと観ぜられていたのではないだろうか。秋の田にかかった朝霧が、私にはあなたの霊のように見える。それはどこへ帰っていくのだろう。あなたの魂の在所を知ることができるなら、こんなふうに切なく乞い求めることもなくなるであろうに……。

 折口も言っているように、飛鳥・奈良の時代に至っても、宮中に仕えていた女性たちはなお巫女としての自覚をもっていた。彼女たちは宮廷の神および神なる君に仕えていたのである。したがって故人を偲ぶ歌にも、そうした巫女的な気分が底流していたと考えても無理はない。磐姫皇女の歌とされる、これらの「恋の歌」が、実際は宮中に使える女性たちによってつくられたものだとすれば、巫女の魂振り(鎮魂)的な歌という解釈も成り立つように思われる。

 家持の時代には、すでに人々のなかから、そうした魂振り的な感受性が失われていた。すると相聞の文脈で読むしかなくなる。「秋の田」の歌などは、主観と客観がうまく組み合わされた、非常に完成度の高い歌として受け取られたはずだ。叙景のなかに抒情を映す「朝霧」は、はかないものの比喩とか、鬱屈した心象風景ということになるだろう。これは歌を受け取る側の自然観が変化したことを意味している。自然から神話的な意味が失われるにつれて、秋の田に漂う霧は、繊細な恋愛感情を投影するための比喩的自然に変容していく。あるいは恋愛の象徴としての自然としてとらえなおされていく。こうして本来は挽歌であったものが、しだいに恋歌として読まれるようになっていったのかもしれない。

 挽歌が魂振りの意味合いを失い、恋歌として読まれていくにつれて、今度は挽歌的な表現を手本として恋歌がつくられる、という逆転した現象が生まれてきた。つまり歌の解釈が、歌のつくり方にも反映してくるわけだ。その理由として、短歌の独特の声調が早い段階の挽歌において成立したこと、初期の挽歌が歌として高い完成度を示していたこと、などが考えられる。また何よりも挽歌は、故人への追念や思慕の情を述べるものだから、相聞的な抒情性を表現するのに適したスタイルであったと言えるだろう。
 

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