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裏ななつ星紀行~高野山編 第ニ話
文/片山恭一 (Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典 (Photos by Naonori Kohira)
- 2015年6月5日
小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、開創1200年を迎えた高野山へ、旅に出た。
現在、我が家には二匹の猫がいる。オス猫の「ヒース」は、れっきとした血統証付きのアメリカンショートヘアである。今年十歳になった。生後三ヵ月くらいのときに近所のペットショップで買った。いつまでも売れ残っているので、このままでは殺処分されてしまうのではないかと心配で夜も眠れず、とうとう連れ帰ってしまったのだ。もう一匹は五歳のメスで名前は「フクちゃん」。長男が公園に捨てられていたのを拾ってきた。親が親なら子も子だ。
このうちヒースのほうが、一ヵ月ほど前に尿路結石であやうく命を落としかけた。おしっこが出ていないことに気づかず、ある朝ぐったりしているので慌てて動物病院へ連れて行ったところ、重度の尿毒症を起こしていると告げられた。カテーテルを入れて排尿させると、腎臓からの出血で真っ赤な尿がたくさん出た。しばらく入院して、なんとか一命は取り留めた。
ところがこの一件、このままでは終わらなかった。家に帰ってきてから、やたらと粗相をするようになったのである。最初は尿漏れを起こしているのだと思い、家人とも「しょうがないよね」と話していた。まだ膀胱の状態が万全ではないのだろう。カテーテルなんてヘンなものを挿入されたことだし。そのうち治るだろうと思っていたが、甘かった。目下のところ、改善される様子は見られない。ほとんど垂れ流し状態である。非常に困った事態だけれど、叱ったところでしょうがない。粗相をしたあとをせっせと雑巾で拭いてまわり、ファブリーズを噴霧して消臭に努めた。寝床でもどこでもおしっこをするので、猫そのものが臭くてしょうがない。
「おまえも耄碌したものだなあ」
私自身、最近はちょっと泌尿器の具合が悪い。尿意を催すとがまんできないのである。すぐにトイレに行かないと漏れてしまう。これも難儀である。とくに車で高速道路を走っているときなどが困る。「そろそろですか? まだ大丈夫ですか?」などと自分の尿意にお伺いをたてながら、サービスエリアでこまめにトイレを済ませるなど、早めに手を打つしかない。煩わしいったらありゃしない。その上、今度は飼い猫まで尿漏れの垂れ流し状態とあっては、まさに内患外憂、どっちが内か外かわからないけれど、頭の痛い事態である。
そうした憂いとも、しばらくはサヨナラだ。もちろん自身の切迫性尿意のことはある。だが飼い猫の粗相の始末をしなくていいだけでも、ずいぶん解放された気分である。ここは高野山、とりあえず雑巾とファブリーズの日々は忘れ、清浄な気分で過ごそう。
そんなこんな思いを胸に秘めて、人々は高野山へ向かう。祈願のために、修行のために、自己鍛錬や自己省察のために。世界遺産を見物に、伽藍や仏像、書や絵画を見るために。ときには物見遊山の気分で、桜や紅葉を愛でに、精進料理を賞味しに。一人で、カップルで、犬を連れて、グループで、団体で。美しい自然を求めて、清浄な静けさを求めて、心の安らぎや、魂の憩いの場所を求めて。高野豆腐に胡麻豆腐、焼き麩や各種の銘菓を贖うために。
高野山で何をするのか。模範的な(?)人々は、宿坊に泊まり、早朝の勤行に参加し、山内の諸堂に参拝する。奥之院で数多くの墓や供養塔を巡り、弘法大師の御廟に粛々とたたずみ、スピリチュアルな気分に浸る。古い参詣道を歩き、昔の人々の信仰の心に触れる。善男善女が阿字観という瞑想を体験する。功徳を得るために写経をやってみる。写真を撮り、飲み喰いして、お守りやストラップ、湯呑など、高野山グッズを買い求める。
高野山駅。改札へ向かう狭い通路を、同じケーブルカーに乗り合わせていた若い僧侶たちと肩を並べて歩く。オレンジ色の法衣に身を包んだ彼らを、私はてっきりチベットあたりからの修行僧の一団だと思った。真言密教とチベット密教、「密教」という言葉によって地理的に結びついてしまったらしい。
「ネパールから?」
「えっ?」
いきなり話しかけられた若い僧侶の一人が、驚いたようにこちらを見る。
「どこから来たの」
「タイランド」
少し英語のわかる僧侶が代わって答える。
「どのくらい滞在するの」
「十二週間」
あまり英語が得手ではないのか、最小限の受け答えしかしない。言葉に自信がない点では、こちらも似たようなものなのに。これ以上の問答は無用とばかり、僧侶たちは鮮やかな法衣を翻し、足早に歩き去っていった。微笑みの国タイでは、現在でも密教が息づいているのだろうか。それは空海の「真言密教」とつながっているのだろうか。
駅を出ると、高野町の茶原さんが車で迎えに来てくれていた。今日と明日、高野山を案内していただくことになっている。ありがたい。現在、高野山には大小百以上の寺院がある。「一山境内地」と言われるように、山全体が一つの寺といってもいい。どうして空海は、こんなところに寺をひらいたのだろう。アクセスがいいといっても、それは電車やケーブルカーで登れるようになった近来のことで、当時は深い樹海に覆われた紀伊半島の人知れぬ山中に過ぎない。
一つの物語が伝わっている。唐への留学を終え、帰国の道中についたとき、空海は「伽藍(修行道場)建立の地を示したまえ」と願いながら、手にした法具(三鈷杵)を空中に投じた。三鈷杵は空の彼方へと飛び去った。後年、法具の行方を追っていた空海は、大和の宇智郡で一人の猟師と出会う。猟師は身長八尺(約二メートル)ほど、赤黒い肌の偉丈夫であった。手に弓と矢を持ち、黒と白の犬を連れている。その犬に導かれ、紀の川を渡り、険しい山のなかへ分け入ったところで、「この山をあなたに与える」という神託を聞く。神託したのは丹生都比売明神と呼ばれる、このあたりの山の主である。さらに山中を進んでいくうち、山上に忽然と平坦な土地が現れた。そこに立つ一本の松に、かつて投じた三鈷杵がかかっているのを発見した空海は、この地に真言密教の聖地をひらくことをきめたという。
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