裏ななつ星紀行〜古代編
万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅
第二話

文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)

小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、“真の贅沢ってなんだろう?”と格安ローカル列車の旅にでた。

 

夜都伎神社 Photo © Naonori Kohira

夜都伎神社
Photo © Naonori Kohira

 『万葉集』が成立したのは八世紀後半と推定されている。この時代の日本について、少し調べたことを書いておこう。朝鮮半島の百済から日本に仏教が伝来したのが、一応、五三八年ということになっている。もちろん仏教だけでなく、儒教や暦法、医術、易をはじめとする種々の卜占法なども入ってくる。仏教経典や漢籍とともに、本格的な文字文化が日本に入ってきたわけだ。漢字そのものは、もっと早く入ってきていたのだろうが、書記というかたちで文字が使われるようになったのは、この時代からと考えられている。

 最初はもっぱら渡来系氏族の手で文字は記されていたらしい。もちろん彼らは漢文をそのまま記していた。つまり文法も、漢字の読み方や書き方も、中国式であったわけだ。やがて漢字の音だけを利用して、古代の大和ことばを表記するということがはじまる。これが万葉仮名と呼ばれるものだ。たとえば「こひ(恋)」は「古比」「古非」「古飛」「故非」「孤悲」などと表記された。「こころ(心)」は「己己呂」「己許呂」「許己呂」「許許呂」といった感じである。『万葉集』の冒頭に出てくる、額田王の有名な熟田津の歌を見てみよう。
 
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 
潮もかなひぬ 今はこぎ出でな(一・八)
 
 これは後代の人たちが、漢字仮名交じりの表記に直してくれたもので、オリジナルの『万葉集』では、「熟田津尓船乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許藝乞菜」となっている。うっひゃ〜! まさに暗号といった感じ。送信したメールが文字化けしたようなものだ。こんな調子で、すべての歌が表記されている。長歌も含めて四五〇〇首! しかも「題詞」と呼ばれる、いつ誰がどんな状況でつくった歌か、という但し書きまでついている。これらの内容が、ほとんど意味不明の漢字の羅列によって表記される、といった恐ろしい世界が展開しているのだ。とても普通の人が読める代物ではない。現代のわれわれにも読めないが、昔の人も読めなかったらしい。

 ただ『万葉集』が大切な書物であるという認識は共有されていた。なにしろ歴代天皇の歌をおさめている。いわば神聖な書物だったわけだ。そこで『万葉集』の解読作業がはじまる。村上天皇の勅令だったらしい。十世紀中ごろ、平安時代末期のことである。つまり『万葉集』の成立が八世紀後半として、二世紀後には、すでに当時の人にもわからないものになっていたということだろう。

 考えてみれば、これは当然である。漢字が使ってあるからといって、正当な漢語文であるわけではない。漢字本来の読み方は、ほとんど無視されている。漢字を無理やり日本語化してしまったというか、もとからあった日本語、大和ことばを、主に漢字の音だけを借用して表記していったわけだから、かなり強引なやり方と言っていい。それだけ大陸文化への憧れ、漢語を自分たちのものにしたいという性急な欲求が強かったのだろう。これが後世に大きな問題を残した。
 

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