東海岸に住んでいた頃、14年間アニマル・シェルターでとにかくがむしゃらに働きました。ところが、2014年秋に西海岸に引っ越し、新生活を築くことに必死になっているうちに、ふと気がつけばシェルター生活から離れて1年という時が過ぎていたのです。今回は、過去14年間、生活の大部分を占めていたシェルターでの活動から離れて1年経った今の心境をお話します。
恩返しに
4年半前に他界した愛犬ジュリエットとの出会いが、シェルターでの動物愛護活動の始まりでした。人間に虐待され、ぼろぼろにされて道端に捨てられた1匹のピットブル。彼女がたどり着いた先のパセイク・アニマル・シェルターのみんなは、その命を尊び、何とか救おうと懸命に頑張ってくれました。その彼らの努力で私とジュリエットは出逢えたのです。それまで、動物愛護という世界とほとんど接点がなかった私ですが、彼らの活動ぶりに大変な感銘を受けました。そして、私もシェルターでチャンスを待っているたくさんのホームレス犬たちの役に立ちたいと15年前にその世界に飛び込んだのです。それはジュリエットの命へ、私とジュリエットの運命への恩返しでした。
痛んだ心
大好きな犬たちと思う存分に時間が過ごせ、たくさんの犬たちと深い絆が築けるシェルターでの仕事は私にとって夢のようでしたが、愛するものの無残な運命を痛いほど見せつけられ、無力を感じ、悲しみと、悔しさと、怒りで眠れなかった夜は数えられません。
シェルターの戸をくぐってやってくる犬に罪はないのです。彼らが陥った状況(彼らを手にした人間)のせいで多くの犬たちは短く儚い一生を終えていきます。1匹の犬に家族を見つけても、捨てられてシェルターにやってくる犬の数が莫大過ぎて絶望的になります。クレートの上にクレート、またその上にクレートと、積み上げられた中に犬たちが窮屈そうに入っている光景を見て、何度も嗚咽を上げそうになりました。
それでも、大好きな犬のために、少しでも役に立っているのならと無我夢中で働きました。犬の前では絶対に涙を流さない。自分の中の掟になりました。後30分で安楽死させられてしまう犬たちに、最後は楽しい思いのまま逝ってもらおうと一緒に走って、笑って、そして見送る。感情を押し殺さなければできない仕事でした。何年も悲しみや悔しさを押し殺し、頑張れ頑張れと自分を励ましてきたせいで、いつの間にか私は泣けない人間になっていました。14年間も愛するものの辛く悲しい局面を直に経験し、心が痛みきっていたのです。涙が枯れきっていたのです。現場を離れ、心がずたずたになっていたことに気がつきました。
しかし、私には使命があります。無念に逝った犬達の命がどれだけ尊いものであったかをいつまでも覚えていてあげる、犬のために闘う、この社会問題を周りの人間と考えていく。現場で体験したことを絶対に無駄にしてはいけないのです。去年簡単な手術を受けることになり、緊張の中、麻酔で眠りについた途端、夢と現実の間から犬たちが何匹も私のベッド周りに現れ、私を励ましてくれました。新たに自分の使命と宿命を確認した体験です。またシェルター生活という縁がめぐってくるかはわかりません。しかし、どこで何をしていても「犬と共に生きる」のが私の道です。
次回は、「リーシ嫌い」と題し、リーシを使いたがらない困った人間たちについての話です。お楽しみに!
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