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- 裏ななつ星紀行〜古代編 万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅 第二話
裏ななつ星紀行〜古代編
万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅
第二話
文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)
- 2016年3月5日
- 2016年3月号掲載
先ほどの熟田津の歌にしても、「熟田津尓船乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許藝乞菜」を、どう読めば五七五七七になるのか。さらにこの歌のなかには、「世武登」や「可奈比沼」といった万葉仮名による表記に混じって、「船」「乗」「月」「潮」のように、本来の漢字の意味を大和ことばにあてはめたもの、つまり現在の訓にあたるようなものが見られる。ここには発想としてすでに、漢字を音訓両用で使い、文字表記は漢字とかな文字を用いるという、その後の日本語の方向性があらわれている。こうした複雑な表記法が、解読を一層困難にしていたと言える。
とにかく漢字で表記されたものを日本の大和ことばに戻してやる、という気の遠くなるような作業がはじまった。この作業は平安時代だけでは終わらずに、江戸時代の国学者たち、契沖、賀茂真淵、本居宣長などによっても引き継がれる。また明治以降も、斎藤茂吉、折口信夫、佐佐木信綱といった人たちが新たな解釈や解説を施している。それでも未解決な部分は残っていて、現代もなお解読作業はつづいている。まさに民族をあげての一大事業。それほど『万葉集』は謎に満ちた、難解な書物なのである。
少し中身に入っていこう。全二十巻におよぶ『万葉集』には、様々なタイプの歌がおさめられている。天皇や宮中の貴族が作った歌もあれば、宮廷詩人のようなプロの作者によるものもある。また一般の庶民や農民の歌が多くおさめられていることも大きな特徴だ。ジャンル的には、儀礼的なもの、叙事詩的なもの、個人の感情をうたった抒情的なもの、自然描写に重きを置いた叙景的なものまで、非常に多岐にわたる。
七世紀中ごろから八世紀中ごろにかけての、およそ百年間につくられた歌がおさめられている、というのが定説のようだ。この前後の日本は、激動の時代といってもいいくらい、変化の激しい時期にあたっていた。前回も少し触れたように、中国から様々な文化が流入してきたからだ。このため日本の社会は、無文字の状態から漢字・かな文字による独自の表記法の確立まで、また氏族共同体や部族国家の段階から律令制のもとでの中央集権的な朝廷王権の誕生まで、きわめて短い時間にめまぐるしい展開をとげることになった。こうした事情が、『万葉集』に一種独特の活気というか、ダイナミズムを与えていると考えられる。
一方で、それは『万葉集』という書物を複雑なものにもしている。百年ほどのあいだにつくられた歌のなかでも、初期のものには古い氏族共同体の伝統的な習俗などがうたい込まれており、時代が下って新しいものには、平安期の貴族階級の生活感情や、中国文化の影響を受けた美意識、価値観などが色濃く反映しているからだ。こうした重層的な構造も、『万葉集』の解釈を難しくしている一因になっている。
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