第61回 「みとる」とは
文&写真/寺口麻穂(Text and photos by Maho Teraguchi)
- 2013年10月5日
以前、シェルターであぜんとする出来事がありました。若い夫婦が12歳の愛犬を連れて来て飼育放棄したいと。パピーのころから育ててきた愛犬の老いを見たくないからという理由でした。連れて来られた犬は12歳には見えないくらい元気で、うれしそうにみんなに愛想を振りまいています。この夫婦は、家にもう一匹10歳になる犬がいるので、数年後、同じように連れて来るつもりであるとも話していました。長年かわいがってきた愛犬たちの変ぼうを見る勇気がないと…。この夫婦は愛犬との別れを済ませ、寂しそうに去って行きましたが、関係者全員言葉が出ませんでした。飼育放棄でやって来る犬は日常茶飯事なのでそれに驚いたのではなく、パピーのころから12年間大切に育てたペットの晩年をそういう形で終える夫婦の考え方に大きなショックを受けたのでした。
老犬介護と最期
確かに愛犬の老いていく姿を見るのは何ともつらいものがあります。また老犬介護は飼い主にとって心身疲労になりかねない大仕事です。2年前の私自身の体験を思い出します。愛犬ジュリエットが14歳になるころ、老化が急速に始まり、いろんなところに支障が出始めました。毎晩のように夜中に起こされ、おしっこのために外出。日中お漏らしすることがあるのでオムツを使用。食欲はあるのに自分で食べる力が無くなり、毎食30分かけて手で食べさせるなどです。そして体重は落ちる一方。三回りほど小さくなってしまいました。また、老犬性認知症のような症状から部屋の隅の角に顔を向けぼーっと立ちすくむこと数十分。突然何を思ったのか遠吠えをしたり…。その急速な変化にジュリエット自身も戸惑っている様子。そして飼い主の私は、10年以上運命共同体として一生懸命一緒に生きてきた相棒ジュリエットの老いと向かい合い、これからどうなるのかと毎日が不安で、感情の渦の中をさまよっていました。ジュリエットの体はどんどん衰退し、そして最期の決断。これ以上苦しい思いを続けさせられないと安楽死を決断しました。飼い主として一番つらい責任を果たすことに、胸が張り裂ける思いでした。しかし、人間も犬もすべての生き物に老いは訪れ、最期はやってきます。別れは本当に悲しいことですが、自宅のリビングで愛用のベッドに横たわり、いつものラジオ局から流れるクラシックを聞きながら私の手の中で静かに息を引き取ったジュリエットも私も本当に幸せです。もっと悲しいのは、飼い主が愛犬をみとれないことだと思うのです。
飼い主なき犬たちへのつぐない
飼育放棄で飼い主に捨てられたり、野良犬としてシェルターにやって来たりする犬の多くは、最後の日々をシェルターで過ごすことになります。人間の勝手でそんな悲惨な運命を背負うことになってしまった犬たち。私とチームメンバーで、そんな犬たちの最期を一緒に過ごす係を申し出ました。最後の数時間、布団の上で日なたぼっこをさせたり、ボール遊びをしたり、公園にのんびり散歩に連れ出したり、この時とばかりおやつを惜しみなくあげたり。何も知らない罪のない犬たちに、最後のひと時は温かく楽しい気分でいてもらおうというせめてもの気持ちです。本当に切なく悲しい任務ですが、人間の手で不幸な運命を歩む羽目になった飼い主なき犬たちへ、同じ人間としてせめてものつぐないになればと…。
次回は、「正しいリード歩行」についてお話します。お楽しみに!
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