その青年はまっすぐにこちらの目を見ていた。アメリカ生活のどんな所が面白いですか、という彼の質問に私が答えている時だった。思いつくままに話した。興味深そうにいろいろ質問してくる。それにしても会話の間、じっと相手の目を見て、一度も目線を外さない。変わった人だ。おそらく20才ぐらいだろう。
20年前の一時期、私はウエートレスをしていた。子供がまだ小さく、パートの仕事しかなかった。そのレストランは接待に使えるような高級レストランだった。現代的なガラス張りの窓から広い庭とビルが見え、池を隔てて隠れ家のような離れがあった。離れは日本からのお忍びのお客様がよく使われた。
着物を着て、ビールをつぐことから私のウエートレス修業が始まった。城下町出身だから着物を着るのは朝飯前だが、お客様にビールをつぐのが苦手だった。グラスの上部に適度に泡をつくり、溢れ出ないぎりぎりの所で止める。そう教わったがこれがなかなかうまくできない。泡が立たず、ちっともおいしそうに見えない。反対に泡を立てすぎて、ズルズルこぼれる。いつも、なにかしらお客様にあやまっていた気がする。
その夜、アメリカ人4名、日本人6名、総勢10名のお座敷だった。アルコールなし。ビールをつがなくていい。ほっとした。母屋で大きなパーティーが重なり、ウエートレスの大半を取られた。離れは私一人がサーブすることになった。
野球関係の人たちらしい。アメリカ人は皆、長身、がっしりした体躯、いかにもプロの身体だ。反対にどうもこの青年が野球選手らしいが、ほっそりした身体で、紺のタートルネックに銀のペンダントが光っていた。華奢でおしゃれ。将来、アメリカに来て野球をするために打ち合わせをしているようだった。
店長が高校時代に野球選手だったとかで、この青年が来るというので、張り切っていた。お座敷には最高級の刺身皿が並べられた。挨拶に来た店長は、サインをもらった色紙を胸に嬉しそうだった。
いよいよ食事になった。青年が座敷の隅に座っていた私を呼んだ。せっかくのお刺身だけど僕は生ものは食べないので、うな重かなにか、ありますか、と。
彼の為のうな重が超特急で作られた。彼にサーブすると、彼はフタの上に尻尾の方の半分を丁寧に寝かせた。それからうな重を食べ始めた。
宴会が終わり、お客様を裏木戸からそっと見送った。さっきまでお祭り騒ぎだった母屋はひっそりしている。夢中だったので気が付かなかったが、もう12時を回っていた。従業員は皆帰ってしまったようだ。大急ぎでテーブルを片付けた。離れの小さいキッチンは下げたお皿で一杯になった。
ふと見ると、彼の前に出した刺身皿は手付かずだった。何ともったいない。このまま捨てるのだ。私はお腹がペコペコだった。ええい、ねこばばしちゃえ。その時に生まれて初めて、トロというものを食べた。それ以後もトロを食べたことがないので、較べようがないが、その状況からして、トロでも極上だったろう。世の中にこんなにおいしいものがあるのかと、ショックだった。腹ペコにはこたえた。
またまた、ふと見ると、うな重があった。下の箱の上にフタが重ねてあり、尻尾があった。彼が最初に取り分けたので、それに箸が付いていないのを思い出した。ええい、ねこばばするなら、これも一緒に食べちゃおう。尻尾はふんわりとして、最高においしい。食べているうちに下の箱が気になった。フタをずらして見ると、下の箱には一粒の米粒も付いていず、まるでなめたようにきれいだった。ショックだった。こんなにきれいに箱の隅々の米粒まで食べる人がいるのか。
やがて尻尾を食べながら喉がつまってきた。彼はただ、最初から自分の食べる量を決め、食べないものを分けたに過ぎないだろう。でも、そのお陰で、私はきれいなままの尻尾を食べることが出来た。
この青年が後に、アメリカ球界で活躍する姿をテレビで見る度に、私は、彼が残してくれた「半分のうな重」を思い出す。イチローさん、ありがとう。おいしかったです。
この記事が気に入りましたか?
US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします