シリーズアメリカ再発見㊳
ニューオーリンズ
水と食と生と死と 〜後編

文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)

ハリケーン・カトリーナから10年目の夏がめぐってきた。水と食と生と死の街、ニューオーリンズを歩いた。

アンティークの店が多いロイヤル・ストリートのショーウィンドー Photo © Mirei Sato

アンティークの店が多いロイヤル・ストリートのショーウィンドー
Photo © Mirei Sato

 私は朝型人間ではない。けれど、旅先で、早朝の盛り場を歩くのは好きだ。
 道ばたに積みあがったゴミ袋、残飯にたかるカラス、疲れた顔で家路につくバーテンダーやミュージシャン……。
 そして、なんとも言えない、すえた「におい」。どんなに「美食」を気どったところで、体から出てしまえば、みな同じ。人間は、ブタや犬よりくさいと思う。
 シェフのアンソニー・ボーデインが世界を旅する番組でケベックを訪れた際、すばらしいごちそうを飲み食いしながら、シェフ仲間と「Food is feces in waiting」と言って爆笑するシーンがあったけれど、まさにその通り…と思う。
 でも、きたないなぁーと目を背けるなかれ。ここニューオーリンズでは、ゴミ箱も、紫と緑。マルディグラの色をしている。バルコニーにぶら下がるビーズやネオンサインと、絶妙なカラー・コーディネーションだ。
 清掃のトラックがやってきた。ホースで舗道を洗い流していく。水はどこへ流れていくのだろう。

◆ ◆ ◆

 ニューオーリンズは食の街だ。地元の人に言わせれば、「生きるために食べる」のではなく、「食べるために生き」ている。ダイエット中だの、食わず嫌いだの、なんとかタリアンだのという人は、来ないほうがいい。
 アフリカから奴隷として連れて来られた人たちが持ち込んだ知識と技に、フランスとスペインの植民地の香りが加わった「クレオール」の食文化。そして、北欧からの移民が伝えた「ケイジャン」料理の数々は、アメリカのほかの土地にはない、独特のものだ。
 オイスター、ザリガニ、シュリンプ、タートルスープ、ガンボ、ポーボーイ、ジャンバラヤ、レッドビーンズ&ライス……。
 ルイジアナ特有のバイユーの黒くにごった水が、いきものを育てる。ニューオーリンズの港を、昔も今も、世界の食材が通過していく。
 私は、朝からポーボーイを食べにいく。ニューオーリンズ名物のサンドイッチだ。具はいろいろ選べるが、結局いつも、好物のオイスターのフライを頼むことになる。
 ニューオーリンズでは、オイスターは、食べたいときに食べたいだけ食べられる。フレンチ・クオーターに「欲望」という名のカキの店もあるぐらいだ。ガルフコーストでとれるカキは、アメリカの東西沿岸でとれるカキに比べると、身がぶ厚くてねっとりしている。だからベイクドオイスターも美味しい。
 蒸したザリガニにスパイスをかけた「クロウフィッシュ・ボイル」や、「バーベキュー・シュリンプ」も、最高のつまみだ。
 ニューオーリンズのレストランはたいていカジュアルだが、数軒だけ、昔ながらのクレオール料理をフルコースで出すところがある。店の名前も、メニューに書かれているソースも、フランス語やクレオール料理に通じていないとちょっと発音に苦しむ。夜はそんなレストランで、長めのディナーを。
 ぶらぶら歩きつつ、ジャズを聴きにフレンチメン・ストリートへ行く。セッションがひけた夜中の1時過ぎ、路上の屋台に行列ができていた。ざくざくと切ったキャベツを鉄板で炒めて、アンドゥイユのソーセージをはさんだだけのサンドイッチだった。
 これが、どんなレストランのフルコースよりも、うまいではないか! 隠し味は、おじさんが鉄板にドボドボとかけている「Garlic Butter Sauce」に違いない。特大業務用みたいな黄色のボトル入り。いかにも安そう、体に悪そう。でもそれが美味しいのだ。
 歩いてフレンチ・クオーターに戻り、カフェ・デュモンドへ。24時間営業の、ニューオーリンズの代名詞といえるぐらい有名な店だ。揚げたドーナツにパウダーシュガーをたっぷりかけた「ベニエ」と、チコリコーヒーのカフェオレを頼む。
 ミシシッピ川の川岸から数ブロックのところだ。朝8時に行けば、コートヤードの席が開く。観光ガイドブックなら、「ジャクソン・スクエアを見ながら、川風を感じて朝食をするのにおすすめ」とでも書くところだろう。でも私は、真夜中にデュモンドに行くのが好きだ。疲れてうたた寝している人、私のように寝るのがもったいないとばかりに座っている観光客、話し足りない様子の熱い恋人たち……。
 夜中でも、店員のサービスはてきぱきしている。「徹夜族」の注文をとりながら、店の掃除も。やっぱり床をホースで洗い流す。その日1日にこぼれ落ちた大量のパウダーシュガーが、これまたどこかへ流れていった。
 そういえば、ツアーガイドさんが言っていた。「ルイジアナに富をもたらしたのは、砂糖です。ミシシッピ川に沿って、シュガーケーンを栽培する大規模な奴隷農園が並んでいました。今でも、川船に乗ると、かすかにモラス(糖蜜)のにおいが漂ってくるんですよ」と。
 ベニエの粉も、ちょっとはそれに貢献しているかもしれない。
 


 

1

2 3 4

この記事が気に入りましたか?

US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします

関連記事

アメリカの移民法・ビザ
アメリカから日本への帰国
アメリカのビジネス
アメリカの人材採用

注目の記事

  1. 「石炭紀のガラパゴス」として知られ、石炭紀後期のペンシルバニア紀の地層が世界でもっとも広範囲に広が...
  2. ジャパニーズウイスキー 人気はどこから始まった? ウイスキー好きならJapanese...
  3. 日本からアメリカへと事業を拡大したMorinaga Amerca,Inc.のCEOを務める河辺輝宏...
  4. 2024年10月4日

    大谷翔平選手の挑戦
    メジャーリーグ、野球ボール 8月23日、ロサンゼルスのドジャース球場は熱狂に包まれた。5万人...
  5. カナダのノバスコシア州に位置する「ジョギンズの化石崖群」には、約3 億5,000 万年前...
  6. 世界のゼロ・ウェイスト 私たち人類が一つしかないこの地球で安定して暮らし続けていくた...
  7. 2024年8月12日

    異文化同居
    Pepper ニューヨーク同様に、ここロサンゼルスも移民が人口の高い割合を占めているだろうと...
  8. 2024年6月14日、ニナが通うUCの卒業式が開催された。ニナは高校の頃の友人数名との旅行...
ページ上部へ戻る