シリーズアメリカ再発見㊳
ニューオーリンズ
水と食と生と死と 〜後編

文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)

ミシシッピ川のほとり Photo © Mirei Sato

ミシシッピ川のほとり
Photo © Mirei Sato

 フレンチ・クオーターを徒歩で回る歴史ツアーに参加した。案内してくれたダイアン・オノレーさんは、18世紀初頭にフランス領ルイジアナを統治し、フレンチ・クオーターを整備した政治家、ジャン・バティース・ビエンビルの子孫。ニューオーリンズに根をはった、「クレオール」だ。ほかの「アメリカ人」とも、いわゆる「アメリカ黒人」とも、違った意識と歴史、アイデンティティーをもっている。

フレンチ・クオーターを案内してくれた、ダイアン・オノレーさん Photo © Mirei Sato

フレンチ・クオーターを案内してくれた、
ダイアン・オノレーさん
Photo © Mirei Sato

 ダイアンさんの曽祖母は、ビエンビルに奴隷として所有されていた。アメリカで生まれた祖母は、白人と黒人の血が混じったクレオールになる。
 奴隷制下のアメリカで、白人が黒人女性に子供を産ませるのは日常茶飯事だったが、生まれた子供の身分をどうするかは、州の法律や時代によって変わった。ルイジアナでは、4分の1(クアドルーン)、8分の1(オクトルーン)というように、「混血」の度合いで身分がわかれた。
 自由黒人の数も、全体のたった数パーセントではあるが、ほかのアメリカの州に比べれば多かった。起業が盛んで、子供をフランスに留学させる習慣もあった。南北戦争以前には、フレンチ・クオーターの建物の25%を自由黒人が所有していたという。その大半は女性だった。フランスの法律が適用され、夫が死ぬと遺産を全額受け取れたからだ。
 しかし1803年にトーマス・ジェファーソンの「ルイジアナ買収」でアメリカ領になり、1857年のドレッド・スコット判決でいわゆる「ワン・ドロップ・ルール」(1滴でも黒人の血が混じっていれば黒人として非人間的に扱う)が敷かれてからは、アメリカ南部流の黒人差別がニューオーリンズのクレオール社会を侵食し始めた。共存し混じり合って生きる「クレオール」の世界観と、「白か黒か」の分離を強いる社会。
 この矛盾を突いたのが、「プレッシー対ファーガソン」として知られる法廷闘争だ。ニューオーリンズの自由黒人でオクトルーンのホーマー・プレッシーが、鉄道の白人専用車両に乗り込み、降りろという命令を拒否して逮捕された。プレッシーと支持者たちは、これが法の下の平等を約束する合衆国憲法に反するとして訴えた。しかし、裁判所は「州の権利が国の憲法より優先する」と判断。南部の各州はこれを「ゴーサイン」と解釈して、その後、黒人に対する差別は一気に激しくなった。
 アメリカの公民権運動といえば、1950年代以降のキング牧師らの活動にばかり焦点があたりがちだ。ニューオーリンズのクレオール社会がそうした闘争の基礎を築いたことは、あまり知られていない。
 歴史教育においても映画や小説のような大衆文化においても、アメリカの黒人というだけでひとくくりにして画一的なイメージばかりが流されている。ニューオーリンズは、そうした固定観念を砕き、多様で繊細な歴史と文化の系譜を理解させてくれる場所だ。
 自らを「誇り高いクレオール」と呼ぶダイアンさん。ツアーの最後に、ジャクソン・スクエアのセントルイス大聖堂内に刻まれている、自分の祖先の名前を見せてくれた。ビエンビルにいきつく家族の壮大な系譜を調べるのに、30年もかかったそうだ。それでも、アメリカのほかの場所に根をもつ黒人たちに比べれば、役所の記録がしっかり残っているだけ幸運なのだろう。
 彼女が頭に巻いている赤い布は、ティニヨンという。その昔、政府がクレオールの女性に「混血」の烙印を押し、「白人社会」に簡単に溶け込めないようにするため、頭に布を巻くことを命じた。女性たちは、それを「おしゃれ」と捉え直し、巻き方や布のデザインを競ったという。抑圧に抵抗する方法は、いくつもあるものだ。
 ダイアンさんは、祖母を含めたクレオールの女性たちに敬意を表して、ティニヨンを毎日身につけているという。

◆ ◆ ◆

 ハリケーン・カトリーナから10年。ニューオーリンズが問題の山積した街なのは、ちょっとした報道番組やドキュメンタリーを見ればわかることだ。政治も経済も司法も腐敗だらけ。市民にインタビューをすれば、「こんなひどい街はほかにないよっ」と怒りで吐き捨てる。その同じ口で、誰もが、「こんなすばらしい街はほかにないよ」と微笑む。なぜなんだろう。
 「Because… we are Creole」
 クレオール料理の老舗レストラン「アッパーライン」のオーナー、ジョーアンさんはそう言った。
 「ニューオーリンズでは、貧しい人も金持ちも、みんな同じ場所に暮らして、同じ場所に葬られる。小さな社会だから、お互いが必ずどこかで、肘をこすり合わせることがある。それがほかのアメリカとは違うんです。たとえばニューヨークだったら、アーティストはアーティスト同士とか、階層やテイストが同じ人としか触れ合わないでしょう。でもここでは、みんなが混じり合い、触れ合わなくちゃ生きていけない。共存しなくちゃ生きていけないんです。『ガンボ』のように、ね」
 


 
取材協力/Special thanks to New Orleans Convention & Visitors Bureau andミシシッピ・リバー・カントリーUSA日本事務局
 

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