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裏ななつ星紀行~紀州編 第六話
文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)
- 2015年11月11日
- 2015年11月20日号掲載
小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、“真の贅沢ってなんだろう?”と格安ローカル列車の旅にでた。
いったん松阪へ戻り、やや遅めの昼食を済ませたあと、JRで新宮へ向かう。この旅では、できるだけ特急には乗らない方針だが、ここも時間を節約するために特急を使う。二時間ほどで新宮へ。途中は雪も降っていたのに、着いてみると快晴だ。さすがは自他ともに認める晴れ男の小平さん。それとも伊勢参りのご利益が、さっそくあらわれているのだろうか。駅のそばのビジネス・ホテルに素早くチェックインして、軽装備でロビーに集合。午後五時だ。ここから十五分くらいのところにある神倉神社で、小平さんは今日最後の一枚をものにしたいと考えている。
ゴトビキ石と呼ばれる巨石を御神体とする神倉神社は、熊野速玉大社の摂社で、熊野三山とともに世界遺産に指定されている。三山の神々が最初に降臨されたという霊場で、例年二月六日の夜に行われる「お燈まつり」が有名だ。また新宮は、作家・中上健次の出身地でもある。若き日の中上が、祭りの様子を書いている。
迎火が中ノ地頭から石段をゆっくりとあがってくる。巨大な石を祭った社の下にうずくまっている氏子たちの群れに歓声がどよめく。先を争って次々に氏子たちは火をつける。社の下が赤く燃えあがる、門がひらかれる、氏子たちは雄叫びをあげ、急激な、眼がくらむように勾配のきつい石段を一気に火の洪水となって、下界の四方を塞がれた暗い街に、駆けおりる。(「眠りの日々」)
簡潔にして正確、勢いのある描写である。二十歳そこそこにして、すでに文体は完成されている。やはり才能なのだろうな。
境内に入り、鳥居をくぐる。世界遺産のわりに、人影はなくてあたりはひっそりとしている。手水で手と顔を清めて先へ進むと、中上が「急激な、眼がくらむように勾配のきつい」と書いているとおり、急峻な石段が現れる。いびつな形の石を乱暴に積んで、「信心の薄い者は去れ!」と訪れる者を突き放す。でも今日一日、善男シニアと化しているぼくたちは、気持ちを強くもって登頂を開始する。「膝が笑っている」と言いながら、小平さんは重いカメラを抱えてぐんぐんとピッチを上げていく。日没が近づき、海に反射する光が微妙な感じになっている。急がないと間に合わない。彼はなんとしても、巨石を祀った社から眺望される太平洋をカメラにおさめたいと思っているのだ。
十分ほど登りつづけて、ようやく社のある平台へ。先に着いた小平さんは、バシバシと写真を撮っている。清浄な空気のなか、シャッターを切る音が弾んでいる。それにしてもゴトビキ岩、巨大である。しかも、かなり剥き出しの状態で鎮座しておられる。気のせいか、「落ちる気満々」なご様子にも見える。こんなものが転がり落ちたら、新宮の街はぺしゃんこだ。お祭りのときも、あまり雄叫びなどは上げずに、粛々と神事を執り行ったほうがいいかもしれない。
それにしても絶景である。眼下に新宮の街と熊野灘を一望にできる。傾いた太陽の光に明るく映える太平洋、午前中の伊勢参りが、何日も前のことのように感じられる。今日は充実した一日だった。心地よい疲労感とともに、ささやかながら何かをやり遂げたという達成感が全身に充ちている。源頼朝が寄進したと伝えられる五百段近い石段を、帰りは踏み外さないようにゆっくりと下る。
二人とも満ち足りた気分で、足は自然とホテル近くの居酒屋へ。ここは新宮名物「めはりずし」をメインにしているお店だ。串カツ、おでんなどをつまみに、地酒「太平洋」を熱燗でいただき、最後に「めはりずし」を食べてみる。酢飯ではなく、普通のご飯を、塩や味噌で漬け込んだ高菜でくるんである。シンプルで美味しい。地元では、古くから家庭料理として親しまれてきたという。きっと各家で、味や作り方も少しずつ違っていたのだろう。また山仕事、畑仕事、筏師の携帯食としても重宝されたらしい。なるほど、ご飯が指にくっつかないので食べやすい。これなら片手で竿を操りながら食べることもできる。おかずもいらず、じつに簡便である。昔の人の知恵と工夫を感じる。
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