裏ななつ星紀行~紀州編 第六話

文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)

小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、“真の贅沢ってなんだろう?”と格安ローカル列車の旅にでた。

Photo © Naonori Kohira

Photo © Naonori Kohira

 いったん松阪へ戻り、やや遅めの昼食を済ませたあと、JRで新宮へ向かう。この旅では、できるだけ特急には乗らない方針だが、ここも時間を節約するために特急を使う。二時間ほどで新宮へ。途中は雪も降っていたのに、着いてみると快晴だ。さすがは自他ともに認める晴れ男の小平さん。それとも伊勢参りのご利益が、さっそくあらわれているのだろうか。駅のそばのビジネス・ホテルに素早くチェックインして、軽装備でロビーに集合。午後五時だ。ここから十五分くらいのところにある神倉神社で、小平さんは今日最後の一枚をものにしたいと考えている。
 ゴトビキ石と呼ばれる巨石を御神体とする神倉神社は、熊野速玉大社の摂社で、熊野三山とともに世界遺産に指定されている。三山の神々が最初に降臨されたという霊場で、例年二月六日の夜に行われる「お燈まつり」が有名だ。また新宮は、作家・中上健次の出身地でもある。若き日の中上が、祭りの様子を書いている。
 
 
 迎火が中ノ地頭から石段をゆっくりとあがってくる。巨大な石を祭った社の下にうずくまっている氏子たちの群れに歓声がどよめく。先を争って次々に氏子たちは火をつける。社の下が赤く燃えあがる、門がひらかれる、氏子たちは雄叫びをあげ、急激な、眼がくらむように勾配のきつい石段を一気に火の洪水となって、下界の四方を塞がれた暗い街に、駆けおりる。(「眠りの日々」)
 
 
 簡潔にして正確、勢いのある描写である。二十歳そこそこにして、すでに文体は完成されている。やはり才能なのだろうな。
 境内に入り、鳥居をくぐる。世界遺産のわりに、人影はなくてあたりはひっそりとしている。手水で手と顔を清めて先へ進むと、中上が「急激な、眼がくらむように勾配のきつい」と書いているとおり、急峻な石段が現れる。いびつな形の石を乱暴に積んで、「信心の薄い者は去れ!」と訪れる者を突き放す。でも今日一日、善男シニアと化しているぼくたちは、気持ちを強くもって登頂を開始する。「膝が笑っている」と言いながら、小平さんは重いカメラを抱えてぐんぐんとピッチを上げていく。日没が近づき、海に反射する光が微妙な感じになっている。急がないと間に合わない。彼はなんとしても、巨石を祀った社から眺望される太平洋をカメラにおさめたいと思っているのだ。
 十分ほど登りつづけて、ようやく社のある平台へ。先に着いた小平さんは、バシバシと写真を撮っている。清浄な空気のなか、シャッターを切る音が弾んでいる。それにしてもゴトビキ岩、巨大である。しかも、かなり剥き出しの状態で鎮座しておられる。気のせいか、「落ちる気満々」なご様子にも見える。こんなものが転がり落ちたら、新宮の街はぺしゃんこだ。お祭りのときも、あまり雄叫びなどは上げずに、粛々と神事を執り行ったほうがいいかもしれない。
 それにしても絶景である。眼下に新宮の街と熊野灘を一望にできる。傾いた太陽の光に明るく映える太平洋、午前中の伊勢参りが、何日も前のことのように感じられる。今日は充実した一日だった。心地よい疲労感とともに、ささやかながら何かをやり遂げたという達成感が全身に充ちている。源頼朝が寄進したと伝えられる五百段近い石段を、帰りは踏み外さないようにゆっくりと下る。
 二人とも満ち足りた気分で、足は自然とホテル近くの居酒屋へ。ここは新宮名物「めはりずし」をメインにしているお店だ。串カツ、おでんなどをつまみに、地酒「太平洋」を熱燗でいただき、最後に「めはりずし」を食べてみる。酢飯ではなく、普通のご飯を、塩や味噌で漬け込んだ高菜でくるんである。シンプルで美味しい。地元では、古くから家庭料理として親しまれてきたという。きっと各家で、味や作り方も少しずつ違っていたのだろう。また山仕事、畑仕事、筏師の携帯食としても重宝されたらしい。なるほど、ご飯が指にくっつかないので食べやすい。これなら片手で竿を操りながら食べることもできる。おかずもいらず、じつに簡便である。昔の人の知恵と工夫を感じる。
 

この記事が気に入りましたか?

US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします

片山恭一 (Kyoichi Katayama)

片山恭一 (Kyoichi Katayama)

ライタープロフィール

小説家。愛媛県宇和島市出身。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。2001年刊行の『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラーに。ほかに、小説『静けさを残して鳥たちは』、評論『どこへ向かって死ぬか』など。

小平尚典 (Naonori Kohira)

小平尚典 (Naonori Kohira)

ライタープロフィール

フォトジャーナリスト。北九州市小倉北区出身。写真誌FOCUSなどで活躍。1985年の日航機墜落事故で現場にいち早く到着。その時撮影したモノクロ写真をまとめた『4/524』など刊行物多数。ロサンゼルスに22年住んだ経験あり。

この著者への感想・コメントはこちらから

Name / お名前*

Email*

Comment / 本文

この著者の最新の記事

関連記事

Universal Mobile
資格の学校TAC
アメリカの移民法・ビザ
アメリカから日本への帰国
アメリカのビジネス
アメリカの人材採用

注目の記事

  1. ニューヨークの古い教会 根を詰めて仕事をし、極度に集中した緊張の日々が続くと、息が詰まって爆...
  2. ダイナミックに流れ落ちるヴァージニア滝の落差は、ナイアガラの滝の2倍 カナダの北西部、ノース...
  3. アメリカでは事故に遭い怪我をした場合、弁護士に依頼することが一般的です。しかし日本にはそう...
  4. グッゲンハイム美術館 Solomon R. Guggenheim MuseumNew York ...
  5. 2023年2月14日

    愛するアメリカ
    サンフランシスコの町並み 一年中温暖なカリフォルニアだが、冬は雨が降る。以前は1年間でたった...
  6. キルトを縫い合わせたような美しい田園風景が広がるグラン・プレ カナダの東部ノヴァスコシア州に...
  7. 本稿は、特に日系企業で1年を通して米国に滞在する駐在員が連邦税務申告書「Form 1040...
  8. 九州より広いウッド・バッファロー国立公園には、森と湿地がどこまでも続いている ©Parc nati...
ページ上部へ戻る