島田 “ナオ” 尚彦
フィジカルセラピスト­­

文/福田恵子 (Text by Keiko Fukuda)

 高度な資格や専門知識、特殊技能が求められるスペシャリスト。手に職をつけて、アメリカ社会を生き抜くサバイバー。それがたくましき「専門職」の人生だ。「天職」をつかみ、アメリカで活躍する人たちに、その仕事を選んだ理由や、専門職の魅力、やりがいについて聞いた。

「身につけた知識を生かすことで患者の回復に直結」

患者さんと一緒に

患者さんと一緒に

 怪我をした人に対してだけでなく、筋肉の使い過ぎや悪い姿勢によって生じた身体の痛みや機能低下を治療するのが、私たちのようなフィジカルセラピストの仕事です。実は私自身、友人にすすめられるまで、この仕事のことを知りませんでした。6歳の時に両親と共に大阪からロサンゼルスに移住してきた私は、カリフォルニア大学アーバイン校に進学し、応用生態学を専攻しました。子どもの頃からキャンプが好きで、卒業後は、自然に親しめるパークレンジャーにでもなろうかと思ったこともありました。しかし、思い悩むだけで将来の職業について決めかねていた時、私の性格をよく知る友人が「君にはフィジカルセラピストが向いているかもしれない」とアドバイスしてくれたのです。

 その時ははっきりとわかりませんでしたが、私自身、サッカー、野球、ホッケー、ビーチバレーにスノーボード、さらに格闘技とさまざまな運動をやっていたこともあって、自分に向いている仕事かもしれないと思うようになりました。そこで大学卒業までに必修科目を修め、大学院進学のために良い成績を維持するように努めた結果、ニューヨークメディカルカレッジに進みました。現在はこの職業に就くには3年または3年半の大学院の課程を収めることが必要ですが、当時は2年でした。そこで修士号を取得し、試験に合格して晴れてフィジカルセラピストになりました。

 最初に勤務したのはロングビーチメモリアルホスピタルでした。クリニックと病院との違いは、病院の患者さんは手術後だったり、かなり入院が長期だったりして状態がより深刻だということです。特に私の専門は脳梗塞を発症した患者さんのリハビリ治療なので、神経科の専門医と連携を取りながら取り組みました。

 ホスピタルには9年間勤務し、大きなやりがいと手応えを得ました。自分がこの仕事に向いていると思えたのは、身につけた知識が患者さんの回復に直結するということです。私はわからないことがあると徹底的に理解するまで調べるのが苦ではありません。夜も勉強、週末も勉強、そして、セミナーがあると積極的に出かけていくなどして最新の専門知識を習得したり、また改めて勉強し直したりするように努めています。

 そして、この仕事の醍醐味が、一生懸命に患者の回復に向けて共に頑張った結果、動けなかった部位が動くようになるなど、目に見えて結果が現れることです。その時に患者さんからパワーをいただいていると感じます。

偏見も先入観もこの仕事には必要ない

 患者さんとの一番印象的なエピソードは、10年前、ロングビーチの病院時代のものです。地元でもその凶悪さで知られたギャングの一員が脊髄を銃で撃たれて入院してきました。彼は当初、歩くこともできず、30日間入院が続きました。その間、私は彼のリハビリを担当し、最後は歩けるようにまでなりました。しかし、私が彼の担当だった時、周囲の人の中には「あの患者は悪人だからあまり深く関わらない方がいい」と言う人も少なからずいました。それでも私はそんなことには耳を貸さずに一心に彼の回復のために集中しました。その人の症状に真摯に向き合い、最善のトリートメントに取り組むことが私のすべきことだと考えたからです。フィジカルセラピストの仕事に偏見や先入観は必要ないのです。

 回復して退院した彼は、刑期を終えて1年後に私のところに会いに来てくれました。そして私の前で「ギャングから足を洗った。その決断にはあなたの存在が影響している」と言ってくれました。私はリハビリを担当していた時、彼の人生を変えようなどという気持ちはありませんでしたが、彼の言葉に心から感謝し、この仕事を選んでよかったと思いました。

 その後、病院からサンタモニカのクリニックに職場を変えました。さらに忙しくなり、患者さんを1日に15、6人診て、夜は訪問治療もこなしました。脳梗塞のリハビリ治療もできるということから指名も多くいただきました。そして今はレドンドビーチのクリニックに移り、新たな気持ちで頑張っています。

 この仕事に向いている人の条件は、まず自分自身もスポーツをしていることです。筋肉の動きを実感値でわかっていることが大前提となります。身体の痛みがわからないと、患者さんの心に寄り添うことができません。私の場合はスノーボード中に転倒事故を起こしたこともありますし、怪我だらけの人生です(笑)。スノーボードの事故では肩を負傷しましたが、自分でリハビリし、1カ月で肩が上がるようになり半年で全快しました。事故直後、同僚のセラピストには手術をしないと全快は不可能だと言われましたが、私は手術なしで自分のリハビリだけで回復し、今はビーチバレーも武道も100%の能力を使ってプレイできています。

 最近のグッドニュースは、夜、訪問治療に通っている患者さんの一人が脳梗塞の後、みるみる回復して歩けるようになったことです。実は彼は、私の妻の姉の義父なのです。私が週3回通ってトリートメントしていることに「とてもラッキーだ」と感謝してくれています。患者さんの回復が最高のニュースです。 将来はどのような症状の人でも、経済状態に不安がある人でも、気軽に来てもらえるようなクリニックを自分で経営したいと思っています。

nao1a

My Resume
●氏名:島田 “ナオ” 尚彦(Naohiko Nao Shimada)
●現職:ロペス&アソシエーツ所属のフィジカルセラピスト
●前職:ロングビーチメモリアルホスピタル所属のフィジカルセラピスト
●資格:MSPT (Master of Physical Therapist)、NCS (Neurologic Clinical Specialist)
●その他:趣味はサッカーからビーチバレーまでスポーツ全般とヨガに忍術。日本のアニメ「NARUTO」のファン。
●ウェブサイト:hermosapt.com

この記事が気に入りましたか?

US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします

福田恵子 (Keiko Fukuda)

福田恵子 (Keiko Fukuda)

ライタープロフィール

東京の情報出版社勤務を経て1992年渡米。同年より在米日本語雑誌の編集職を2003年まで務める。独立してフリーライターとなってからは、人物インタビュー、アメリカ事情を中心に日米の雑誌に寄稿。執筆業の他にもコーディネーション、翻訳、ローカライゼーション、市場調査、在米日系企業の広報のアウトソーシングなどを手掛けながら母親業にも奮闘中。モットーは入社式で女性取締役のスピーチにあった「ビジネスにマイペースは許されない」。慌ただしく東奔西走する日々を続け、気づけば業界経験30年。

この著者への感想・コメントはこちらから

Name / お名前*

Email*

Comment / 本文

この著者の最新の記事

関連記事

アメリカの移民法・ビザ
アメリカから日本への帰国
アメリカのビジネス
アメリカの人材採用

注目の記事

  1. ニューヨーク市内で「一軒家」を探すのは至難の業です。というのも、広い敷地に建てられた一軒家...
  2. 鎌倉の日本家屋 娘家族が今、7週間日本を旅行している。昨年はイタリアに2カ月旅した。毎年異...
  3. 「石炭紀のガラパゴス」として知られ、石炭紀後期のペンシルバニア紀の地層が世界でもっとも広範囲に広が...
  4. ジャパニーズウイスキー 人気はどこから始まった? ウイスキー好きならJapanese...
  5. 日本からアメリカへと事業を拡大したMorinaga Amerca,Inc.のCEOを務める河辺輝宏...
  6. 2024年10月4日

    大谷翔平選手の挑戦
    メジャーリーグ、野球ボール 8月23日、ロサンゼルスのドジャース球場は熱狂に包まれた。5万人...
  7. カナダのノバスコシア州に位置する「ジョギンズの化石崖群」には、約3 億5,000 万年前...
  8. 世界のゼロ・ウェイスト 私たち人類が一つしかないこの地球で安定して暮らし続けていくた...
ページ上部へ戻る