かなり重いテーマになってしまうのだけれど、最近、若い世代の自殺について考えさせられることがあった。今年26歳になる息子の友人の自殺を、随分時間が経ってから知ったのがきっかけ。その男の子はとても繊細で優しい性格だった。中学から高校にかけて一緒に週末を過ごすことが多かったその男の子は、高校の途中から不登校になりホームスクールに切り替えた。ホームスクールで高校を卒業した後は、コミュニティカレッジを経由して有名私大に編入したことを彼の母親、Kさんから聞いていた。
しかし、ある時から突然、私にとっても友人だったKさんと連絡が取れなくなった。気になった私がEメールを出すと、「体調が悪くて寝たり起きたりの繰り返し」との返事。「大丈夫? 運転が必要だったら私が運転するから気軽に言ってね」とさらに返すと、「お気持ちだけで十分」という、もう放っておいてほしいという雰囲気が伝わるメールが戻ってきた。
3年間、パンデミックだったこともあり、私は人と積極的に会うことはしなかった。しかしその後、私は共通の知り合いから偶然、彼女の息子、つまり私の息子の友人が亡くなっていたことを知った。しかも自殺だったそうだ。私はそれを知った時、目の前が真っ暗に、そして頭の中が真っ白になってしまった。なぜ、あんなに優秀でやさしい彼がみずから命を絶たなければいけなかったのだろう、と。それでも、もし、それが私の息子だったらと思うと……いやいや、そんなことは絶対に想像もしたくない。
私は日本に住む息子に電話し、そのことを報告した。すると息子は「残念だね。それしか言えない」と言った。私は彼が友人の決断に同調しなかったことに、救われたような気持ちになった。
未熟さを自覚する
2001年とかなり古い数字になってしまうのだが、意外にも、若い年代に限るとアメリカの方が日本よりも自殺率は高い。15歳から24歳の自殺率は日本が10万人中8.6人であるのに対して、アメリカは13.7人。25歳から34歳までの間も日本が14.2人で、アメリカは15.3人だ。そこから上の年代になると、日本の自殺率がアメリカを上回る(出典:Global Education & Career Development)。
しかし、日米ともに若い人々の自殺が社会問題であることに変わりはない。先日、日本の某地方自治体の首長がロサンゼルスに視察に訪れた。その目的の一つが「ロサンゼルスの生徒の自殺を防止する対策について知ること」だった。彼が言うには、「日本の受験制度があまりに過酷であるため、自分の将来を悲観し、みずから命を断つ中学生や高校生が後を絶たない。その流れに歯止めをかけることが急務」とのことだった。家庭や学校での取り組みでは十分ではなく、行政の仕組みとしてカウンセラー制度などを推進していくことが有効だと考えているのかもしれない。
このように「どのようにしたら自殺を食い止めることができるか」という思いが頭から離れないまま、さまざまな文献が参考になるかもしれないとネット上の記事を検索していたら次のような文章を発見した。「人格形成面では、10代の判断能力や決断力は完成されているとは言い難く、道の半ばだ。完全に成熟するのは20代半ば。彼らにとっては、年齢を重ねた人と同じようにリスクを取った結果について冷静に考えることは難しい。さらに自立していて、それが自分の強みだと考えている人は、他者に助けを求めるのが難しいかもしれない」。
つまり、若い時はまだ自分が完成されていない、今は困難なことが多いけれど成長すれば何らかの解決策が出てくるに違いないと、自分が未熟であることを自覚することが救いとなり、最悪の事態を回避する助けになるということだろう。そのためにも、親として子どもに多くを求めてはいけない。結果的にそれをプレッシャーとして背負った子どもがいなくなってからでは、後悔してもしきれない。そんなことを改めて思いながら、至らない親だった私自身を反省すると同時に、特別に活躍しているわけではないけれど元気に働いている息子と大学に通っている娘の存在に安堵したのだった。
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