裏ななつ星紀行~紀州編 第七話

文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)

小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、“真の贅沢ってなんだろう?”と格安ローカル列車の旅にでた。

紀勢本線から美しい海岸線を眺める。遥か彼方は西海岸だ Photo © Naonori Kohira

紀勢本線から美しい海岸線を眺める。遥か彼方は西海岸だ
Photo © Naonori Kohira

 翌日は普通列車で那智に向かう。一時間ほどあるので近くを散策。写真を撮りながら歩いていると、中上健次の生誕の地に行き当たった。JRの線路と踏切のすぐ脇で、いまはコンクリートの公営住宅になっている。『岬』や『枯木灘』、『千年の愉楽』など彼の代表作は、ほとんど地元・新宮を舞台にしている。『鳳仙花』という作品集には、旧国鉄の操車場なども出てくる。まさにこのあたりを、幼い中上少年は遊びまわっていたのだろう。昭和の面影が残る路地を歩いていると、いまもオリュウノオバが暮しているような気がしてくる。
 那智山へは駅からバスで向かう。途中、山肌が深くえぐられた箇所を何度も目にする。数年前の水害の傷跡だ。あちこちで修復工事がつづけられているが、完全な復旧にはまだ時間がかかりそうだ。まして美しい山々が、かつての姿を取り戻すには、何代にもわたる長い時間を要するだろう。那智大社から青岸渡寺、三重の塔に那智の滝と、一通りお参りする。バスの時間まで、数軒の土産物屋を覗いてみるが、置いてあるものはどこも同じ。黒飴と那智石ばかりじゃあ、何か買おうという気になれない。せっかく来たのに、残念である。
 バスは那智駅を経由して紀伊勝浦まで行く。せっかくだから終点まで乗って、勝浦からJRきのくに線でのんびり白浜まで行けばいいや、と道の駅で買ったポンカンなどを食べながら、二人とも大事な荷物を那智駅のコインロッカーに預けていることを、すっかり忘れていた。
 「あっ!」
 「ん? ……あっ!」
 温暖な南紀の風土がそうさせるのか、絵に描いたような間抜けぶり、フーテンの寅さんに「あいかわらず馬鹿か?」と言われても、黙ってうなだれるしかない。とりあえず昼食を済ませてから引き返すことに。ところで紀伊勝浦の駅前は、どの店も、どの店も、マグロ丼だった。別にマグロが嫌いというわけではないのだが、そのときはなぜかぼくも小平さんも、マグロ丼以外のものを食べたい気分だった。八百屋のおばさんが「おいしい」というラーメン屋は、昼休みで閉まっていた。
 「美味そうだったね」
 「食べられないとなると、余計に未練が募りますね」
 「どうしようか」
 「おバカが二人、マグロ丼を喰ってもねえ」
 結局、呑気なおバカ二人組は、マグロ丼屋さんで親子丼を食べることにした。ところで、その日は三月十一日、親子丼を食べている最中に、震災が起こった午後二時四十六分を迎えた。突然、鳴り渡るサイレン。通りを行く人の多くは、立ち止まって黙祷をしている。ぼくはうつむいたまま、親子丼を食べつづけた。
 午後三時半、おバカ二人組は再び那智駅にいた。今日はとことんおバカをきめこんで、列車の時間まで駅前のベンチでのんびりする。昨日、伊勢では雪が舞っていたのに、今日は打って変わって暖かな陽気。まさに春真っ盛りという感じだ。日当たりのいいベンチに腰を下ろしていると、身体も脳もとろけてしまいそうだ。こんな無為の時間、日常ではなかなかもてない。小さな失態が、思いがけない恵みにつながるのも、気ままな旅の良さである。
 白浜までは二時間余り、長閑な普通列車の旅を楽しむ。湯川、太地、古座、串本と、美しい海、美しい海岸線がつづく。こういうところこそ、普通列車でゆっくり行きたいものだ。明るい海と砂浜に、南国らしい暖かな日差しが溢れている。ぼくは安物のデジカメを駆使して、車窓から何枚も写真を撮った。このあたりは岩と岬、小島の感じが独特で、つい下手な写真にも意匠を凝らしたくなる。それにしても、ローカル線に乗るたびに感じるのは、中学生や高校生など、地元の若い人たちの生気のなさだ。車内で元気にしゃべくっているのは年寄りだけ、若者はたいていスマホをしているか、通路に足をベロンと投げ出して寝ている。それが日常的な光景になっているのは、ちょっと寂しい。
 もっと寂しいのは、駅前のさびれ方だ。これは現在、日本のローカルな街で、ほぼ例外なく言えることである。白浜のような観光地でも、駅前は目を覆いたくなるほどさびれてしまっている。みんなマイカーや、観光バスでやって来るのだろう。ぼくたちみたいに、普通列車でちんたら来る者は少数派だ。それにしても、列車から降り立って最初に目にする光景が、シャッターの下りた店、テナントの入ってないビル、広告主のいない広告塔というのでは、あまりにも寂しい。日本の駅前を救え! 心ある国会議員は、超党派で「日本駅前党」をつくってほしい。
 もう少し敷衍して考えるなら、こうした駅前のさびれ方には、現在の日本の社会が抱える構造的な問題が象徴されている気がする。それは一言で言うなら、一次産業(農林水産業)の軽視=切り捨てということだ。とくに農業は、日本のローカルを支える基幹産業であった。たしかにGDPで見れば、一次産業の生産額は二パーセントに満たないかもしれない。しかし地域の関連産業を生み出すベースになっているのは、農業をはじめとする一次産業であるはずだ。
 たとえば美味い食材があるから、ぼくたちみたいなくいしん坊がやって来る。農林水産業によって守られてきた美しい海や山、田んぼといった景観に惹かれて人が集まる。そこに観光業が生まれ、加工業が生まれ、輸送業が生まれる。商店街や地域のコミュニティが形成されていく。ところがTPPに見られるように、戦後の日本は一貫して自国の農林水産業を切り捨ててきた。「過保護」だと言われる日本の農業保護度は、先進国の水準から見ればかなり低いのだ。フランス、イギリスなどのEU諸国では、農業所得に占める補助金の割合が九十五パーセントくらいである。食のグローバル化を進めるアメリカだって、自国の農業だけは補助金などによって手厚く保護している。日本だけがアメリカの言うなりに、自国の農業を潰そうとしている。そのため国際社会では「WTOの優等生」と揶揄されるほどだ。
 それもこれも、日本の農政の戦略のなさ、政治家の見識のなさ、国民の思慮の欠如によるところが大きい。日本中の駅前を元気にし、活性化することは、日本の社会と日本人の思考を健全なものにすることでもあるだろう。
 

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片山恭一 (Kyoichi Katayama)

片山恭一 (Kyoichi Katayama)

ライタープロフィール

小説家。愛媛県宇和島市出身。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。2001年刊行の『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラーに。ほかに、小説『静けさを残して鳥たちは』、評論『どこへ向かって死ぬか』など。

小平尚典 (Naonori Kohira)

小平尚典 (Naonori Kohira)

ライタープロフィール

フォトジャーナリスト。北九州市小倉北区出身。写真誌FOCUSなどで活躍。1985年の日航機墜落事故で現場にいち早く到着。その時撮影したモノクロ写真をまとめた『4/524』など刊行物多数。ロサンゼルスに22年住んだ経験あり。

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