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バリ島紀行 第2回 バンジャールと聖なる泉
文&写真/水島伸敏(Text and photos by Nobutoshi Mizushima)
- 2015年7月20日

仏教と混ざり合っているバリ・ヒンドゥー
Photo © Nobutoshi Mizushima
バリ中部の街ウブドへと向かった。混みごみした州都のデンパサールを抜け、田舎道に入るとやっとバリらしさを感じてきた。ヒンドゥーの寺院や田園風景、石造りの家々が続き、バティック柄のサルンや綺麗なレース編みのクバヤといった伝統的な衣装を身につけた女性たちを見かけるようになった。
小さな村を通りすぎるたびに、スクーターに2人乗り、3人乗りしている子供たちを何度も見かけた。ときには7、8歳ぐらいのまだ幼い子供たちがスクーターで学校から帰ろうとしているのを見て驚かされた。聞いてみるとこうした村々での交通手段は大人でも子供でもスクーターが当たり前だという。もちろん免許も持たない子供の運転は、違法ではあるのだが、村にはほとんど警察が常駐していないので、ほぼ公認といった様子だ。
ウブドへと続く道には、石彫りの村、木彫りの村、銀細工の村、絵画の村など、工芸専門の村が次々に現れる。それぞれの村には同じような工房やギャラリー、ショップが連なって並んでいる。これではお客さんの取り合いになるのではないかと少し心配をしながら、いくつかの工房を覗いてみた。大きな工房では必ずギャラリーとショップが敷地内にあり、職人さんたちは黙々と作業に打ち込んでいた。邪魔しない程度に話しかけてみると、シャイな笑顔を浮かべながら優しく答えてくれた。 こうした工芸専門の村には、世界中からバイヤーが買い付けに来るのだという。そして、お店の収益の多くは、一般の旅行者からではなく、そうしたバイヤーたちによるものらしい。もしかすると、一つの村で一つの伝統産業をすることで逆に、小さな村を守っていくことができるのかもしれない。
マスという木彫りの村を通り過ぎたとき、派手な装飾をした場所があったので少しだけ覗いてみた。どうやらバンジャールの集会所で結婚式をやっているらしい。新郎新婦の家族や親戚、友人たちが大勢集まっていた。そして、バンジャールの隣人たちが式を手伝っている。バリの村にはバンジャールという共同体があって、それごとの集会所がある。日本で言う町内会とか自治会のようなもので、そこは結婚式場となったり、伝統舞踊の舞台や稽古場になったり、幼稚園になったりもする。バンジャールごとに人々は協力し助け合い、もめ事を解決したりもする。警察などが村々には必要ないのは、このバンジャールという共同体の強い結束や厳しい決まりがあるからなのだろう。
式は朝から真夜中まで行われる。若い女性たちはちょうど、バリでの成人の儀式にあたるウバチャラ・ポトンギギ・ギギという削歯儀礼を終えたところだった。そして、昼食がはじまると、通りすがりの私もたちまち輪の中に連れて行かれ、着飾った女性たちからはご飯が、酔っぱらった男性たちからはお酒が振る舞われた。片言の英語と片言の日本語を使ってしきりに話しかけてきてくれる。そんなバリの人たちの情に触れながら、彼らと一緒に時を過ごしていると、なんだか日本の田舎を旅しているような懐かしい気持ちになっていた。
彼らと別れたあと、遺跡や寺院を訪ねて廻った。バリのヒンドゥー寺院に入るには旅行者でもサルンという巻きスカートのようなものを身につけなくてはならない。大抵は入り口で借りて、帰りに返す。聖なる泉のあるティルタ・ウンプル寺院に行ったときも同様にサルンを巻いて、寺院に入った。手や頭の上に水桶を持った人たちとすれ違う。ここの泉で湧く聖水は沐浴だけではなく、持って帰って毎日のお祈りのときにも使うという。
奥にある沐浴場では大勢の巡礼者が列をなしていた。チャナンという竹皮で作った入れ物に花びらを入れた供物をいくつも手に持っている。この小さな供物を一つ一つ捧げては、聖なる泉から流れ出た水に頭を打たれるように傾け、そして、手を合わす。家族連れから若者たちまで大勢の人たちが水の流れ落ちる場所を順々に巡っては、祈りを捧げている。
はじめは全くその気はなかったのだが、見ているうちに少しだけ入ってみたくなった。結局、服を脱衣所のロッカーに入れ、サルンを巻いて地元の人たちに混ざって、興味本位に並んでみた。たまたま、後ろに並んできた旅行者と一緒に見よう見まねで、水に打たれ始めた。自分が何を祈っているのかもあまりわからないまま、たんたんと手を合わせながら、水に打たれる。最初はなんだか少し照れくさく、彼と冗談を交わし合っていたが、水の流れ落ちる場所を一カ所、また一カ所と順に進むにつれ、心が自然と自分の内側に向かっていくのを感じた。
最後の水に打たれ終えたときには、なんとなく親や家族のことが心にあったのを覚えている。バリの暑さで火照っていた身体に冷たい水が心地よかったのか、それとも本当に心まで清められたのか、沐浴を終えた時には清々しい気持ちになっていた。
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