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バリ島紀行 第6回 祈りから始まる日々
文&写真/水島伸敏(Text and photos by Nobutoshi Mizushima)
- 2015年9月20日

市場の寺院でお祈りを捧げている女性
Photo © Nobutoshi Mizushima
市場の中にも小さな寺院がある。ここには毎朝たくさんの女性がお祈りをしにやってくる。チャナンとお線香、お水を片手に持って、女性たちが入れ替わり立ち替わり入ってくる。一度だけ中に入ってその様子を見させてもらった。
サルンにスレンダーを巻いた女性たちが決められた場所にチャナンという花の小さな供物をお供えしていく。まず、火のついたお線香をチャナンの上に置く。指先で花びらをつまみ、軽く濡らし、その手を静かに振るうと、水しぶきがたった。花びらをつまんだまま、手のひらは弧をえがくようにゆっくりと廻りながら天を仰ぐ。花びらをかんざしのように髪や耳に掛けて、両手を合わせる。その動作が何度か静かに繰り返された。
バリ・ヒンドゥーの祈りには、土、水、火、そして風が必要だという。土はその土地で育った花を捧げ、火はお線香をたき、水をかけて、最後に手のひらで風を生む。寺院の中で流れている時間が外の時間よりもゆっくりと感じた。
それにしてもバリの人たちは何をこんなにも祈っているのだろうか。祈り終えた人たちにそれを聞いてみてもよかったのだけど、なんとなく聞く気にはなれなかった。きっと言葉として返ってくるその答えが、それぞれの祈りの想いよりも安っぽく感じてしまう気がしたからかもしれない。しばらく黙って見ていようと思った。
ウブドは伝統と芸術で色付いた信仰の街だ。東洋と西洋、伝統と現代、ヒンドゥーと仏教、様々なのもが混ざり合いながらできたこの街は今も進化しつづけているように思える。しかし、観光化は最近さらに急速に進んでいるという。世界中から集まってきた人たちはこの辺りの土地を高値で買い、田んぼの真ん中にホテルや高級スパを建てる。そして、農民たちはそのお金で車やスクーターを買う。だから一見静かなこの街に騒音や排気ガスが溢れているという住人の声も聞いた。この街の未来を少しだけ憂いながら、私は安宿のベッドで眠りについた。
■あとがき■
毎朝、お花を供え、祈りを捧げているバリの人たちを見ていると、世界中で、神や宗教の下に今も昔も繰り返されている様々な行為が、こういった純粋な信仰心とは到底かけ離れたものだと思えてくる。
私は基本的には無神論者に近いと自分では思っている。とはいえ、日本に帰れば実家にある仏壇にむかって手を合わせるし、法事や葬式の時には坊さんが来たりもする。かといって自分がブッダを崇拝し仏教を信仰しているかといえばそうはいえないだろう。ただ先祖や亡くなってしまった人たちに想いを込めるように手を合わせているだけだ。
本当は、人が祈ることなんかはそんなに多くはなく、せいぜい家族のことや自分のこと、周りのことぐらいなものだという気もする。ときどき平和のことなども祈ったりして。そう考えると、神の姿や名前なんかはそもそもなんでもいいような気がしてきた。
そして、この祈りの行為や祈っている時間そのものにこそ、人の心を癒し、穏やかにする力があるのではないかと旅を終えて思った。
バリの若者や家族を見ていると、完全にこの土地とここの文化に属しているのがわかる。家族や親戚、隣人とお寺に通う。若者たちは面倒くさそうにしているかと思えば、そうでもない。女の子たちは、ほこらしげに綺麗な伝統衣装を身にまとい、なんだか自信に満ちている。男の子たちは祭りのような感覚で、友人と顔を合わせているのが嬉しそうだ。自分の属している社会を誇りに思って暮らしている人がどのくらいいるのだろうか。はたして、自分は何に属しているのかと考えさせられる。私の場合、日本の煙たいしがらみや画一的な社会に属したくないという気持ちもあって、アメリカに住んでいる。かといってアメリカ人としてどっぷり生きているかといえば、そんなことはない。結局、このどこにも属していない感じが心地良かったはずなのだが、ウブドの人たちを見ていたら、なぜだか彼らが少し羨ましく思えた。
本連載はこれで終了します。
ご愛読ありがとうございました。
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