裏ななつ星紀行~紀州編 第二話

文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)

小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、“真の贅沢ってなんだろう?”と格安ローカル列車の旅にでた。

Photo © Naonori Kohira

Photo © Naonori Kohira

 二日目はJRで天理へ向かう。この路線には「万葉まほろば線」というロマンチックな名前がついている。「まほろば」の「まほ」は、漢字で書くと「真秀」で「本当に素晴らしい」という意味。『古事記』の倭健命の歌(『日本書紀』では景行天皇の歌)、「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣山隠れる 倭うるはし」が有名だ。その名前に惹かれて、ぼくたちも万葉まほろばの旅を企てることにした。大和平野の東側、三輪山の山裾を縫って南北に延びる道は「山の辺の道」と呼ばれている。石上神宮を出発点として、仏教伝来の地である海柘榴市まで、約十一キロの行程である。全部を歩くのは大変なので、途中、JRなども利用しながら行くことにする。
 じつは小平さん、おそるべき晴れ男なのだ。お天気にかんして、ぼくは全幅の信頼をおいている。というわけで、晴れました。竹林を渡る風はやさしく、どこからともなく甘い花の香りを運んでくる。低く剪定された柿の木は、芽吹きにはまだ少し早い。複雑に折れ曲がった枝を四方八方に伸ばしながら、雲一つない空の下に並んでいる様子は、さながらモダンなオブジェだ。
 晴天に映える紅い梅の蕾、民家の庭で膨らみかけている木蓮……いい気分で写真を撮りながら歩いていった。小平さんが小型カメラに装着しているライカのレンズは、七十万円ほどのお値段。「パリン!」と落とせば七十万という、とってもハイリスクなブツだ。一方、ぼくのカメラは安物のデジタルだけれど、気分はすっかり入江泰吉である。日溜まりで数匹の猫がのんびり昼寝をしている。大和路の猫たちは、この世に危険や脅威が存在することを忘れてしまっているようだ。そんなことでいいのか、きみたち? たぶん、いいのだろう。ぼくも今日は一日、猫たちを見習って、思い切り無防備になることにしよう。
 道端に無人の店が出ている。里芋も大根もカボスも、どれも一盛り百円、一袋百円で無造作に置いてある。もちろん番をしている人などはいない。このあたりでは猫だけでなく、人まで無防備なようだ。いいなあ。ぼくはお金を入れて、八朔を一袋買った。こんなポトラッチみたいなことが成り立つのは、ベーシックなところで人と人の信頼関係が損なわれずにあるからだろう。そうした信頼の基盤が、いまの日本では急速に失われつつある……といったことは、いまは考えないことにする。
 はじめて訪れる場所なのに懐かしい。そんな感じを与えるところは、人々の暮しが長く変わらずに営まれているところだ。いくら古い神社や仏閣であっても、時間の連続性が感じられないところに、ぼくたちは懐かしい感じを抱くことはない。それは歴史資料みたいなものだ。時間は凍結され、切断されている。時間とは、ただ物理的に流れるものではない。人々の暮しが一日一日と積み重なることによって、年々歳々の営みのなかから時間は生まれてくる。
 たとえばいま、ぼくたちが歩いている道にしても、人の往来が数カ月も途絶えれば、たちまち草や木が生い茂り、道は消えてしまうだろう。アスファルトやコンクリートで道を固めてしまう以前は、とくにそうだったはずだ。人が歩くことによって道はできる。人が歩きつづけることによって道は保たれる。その道が千年の時を超えて在りつづけることの尊さを想う。連綿とつづく人々の営みに心を通わせるとき、ぼくたちは思わず知らず、「懐かしい」という感じをおぼえるのかもしれない。
 道の各所に小さな歌碑がある。ほとんどが『古事記』や『万葉集』に収められている古い歌だ。柿本人麻呂の歌が多いのは、彼の妻か愛人がこのあたりに住んでいたからだという説があるらしい。
 

子らが手を 巻向山は 常にあれど 過ぎにし人に 行きまかめやも(七・一二六八)
 
巻向の 山辺響みて 行く水の 水沫のごとし 世の人我れは(七・一二六九)

 
 愛する人が亡くなったのだろうか。ここにも千年の時を超えた想いが流れている。現世のことだけを考えるのであれば、ぼくたちは言葉を必要としなかったかもしれない。この世を超えたつながりを感じたから、そのつながりへ向かって、人々は言葉を差し出し、磨き上げてきたのだろう。
 山の辺の道の周辺には、日本列島でも最古の部類に入る古墳が幾つも点在している。わが国では古来より、神は山や木、岩などに宿ると考えられてきた。たとえば三輪山の麓に建立されている大神神社には、拝殿はあるが本殿はない。山そのものが神奈備(神のおられる山)なのだ。こうしたアニミズム信仰の、いわば発祥の地とも言える三輪山の麓に、三世紀ごろから巨大な古墳がつぎつぎに築造されるようになった。せっかく来たのだから、ぼくたちは素早く「歴シニア」と化して、代表的なものを踏査してみることにした。
 天理市から桜井市にかけて連なる古墳群は三つのグループに分かれ、それぞれ大和古墳群、柳本古墳群、纏向古墳群という名前がついている。国道一六九号線が、こうした古代遺跡のど真ん中をぶった切るようにして走っている。神をも畏れぬとはこのこと。途中、鯛焼き屋の無粋な看板があったりして、なんだかなあ……。
 小さなものまで含めると優に四十を超える古墳のうち、巨大古墳と呼ばれているものは、北から西殿塚古墳、行燈山古墳(崇神天皇陵)、渋谷向山古墳(景行天皇陵)、箸墓古墳の四つである。どの古墳も鬱蒼とした木々に覆われ、地上からではただの小山にしか見えない。あの前方後円墳に特徴的な形も、空から俯瞰しなければ確認できない。自然の景観に溶け込んで、人工物であることがにわかに実感できない。時間はかくも容易く、人の痕跡を消してしまうものなのか。
 このうち最初に築造された箸墓古墳が、近年の調査によって卑弥呼の墓である可能性が高まったということで、にわかに注目されている。果たして、ここに卑弥呼は眠っているのか? 地元の研究者たちは、明言は避けながらも、「証拠は揃っているぜ」と自信ありげだ。
 そうなると北九州説も黙ってはいない。さあ大変だ! 卑弥呼とはいったい誰なのか。邪馬台国はどこにあったのか。北九州説か畿内説か……仁義なき戦い、血で血を洗う抗争が、再びはじまろうといている。
  

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片山恭一 (Kyoichi Katayama)

片山恭一 (Kyoichi Katayama)

ライタープロフィール

小説家。愛媛県宇和島市出身。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。2001年刊行の『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラーに。ほかに、小説『静けさを残して鳥たちは』、評論『どこへ向かって死ぬか』など。

小平尚典 (Naonori Kohira)

小平尚典 (Naonori Kohira)

ライタープロフィール

フォトジャーナリスト。北九州市小倉北区出身。写真誌FOCUSなどで活躍。1985年の日航機墜落事故で現場にいち早く到着。その時撮影したモノクロ写真をまとめた『4/524』など刊行物多数。ロサンゼルスに22年住んだ経験あり。

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