裏ななつ星紀行~紀州編 第一話

文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)

小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、“真の贅沢ってなんだろう?”と格安ローカル列車の旅にでた。

近鉄京都駅のせんとくん Photo © Naonori Kohira

近鉄京都駅のせんとくん
Photo © Naonori Kohira

 またまたやって来ました、裏ななつ星の旅。キーワードは「裏」と「シニア」。トレンドの裏道を、シニアの気ままさでのんびり旅をしよう、というおおらかな、というか大雑把な企画である。
 今回の旅のスタートは奈良。なぜ奈良なのか? これには深くはないけれど理由がある。旅の相棒、フォトグラファーの小平さんは、五年ほど前から毎年、東大寺は二月堂のお水取りを撮りつづけている。ぼくは去年、はじめて同行させてもらい、すっかり魅せられた。いまでは二人とも、この行事に立ち会わなければ春を迎えた気分になれない、という難儀な身体になってしまっているのだ。
 お水取りは三月一日にはじまり二週間つづく。ぼくたちは中ほどの、人が少なそうなときを選んで出かけることにしている。仕事の関係で、小平さんは京都から、ぼくは新大阪から奈良に入り、夕方落ち合って東大寺へ。シニア二人組にしては、冒頭からロマンチックな展開だ……が。
 「東大寺は冷えるよ」
 「ぼくはズボンの下にパジャマをはいてきました」
 「やるねえ。ホッカイロを調達しとこうか」
 「熱いお茶も欲しいですね」
 いつものように日本一人懐っこい(あるいは日本一ずうずうしい)鹿が出迎えてくれる。かわいいので、つい何枚も写真を撮ってしまう……が、そんなことをしている場合ではない。急ぎ足で二月堂へ。松明が登場するのは午後七時。ぼくたちは六時半ごろ到着した。二月堂の前の人はそれほど多くない。かわりにものすごく寒い。奈良に春を呼ぶお水取り。ということは、お水取りが終わるまでは、いくら呼んでも春は来てくれないのだ。寒がりのぼくは両方のポケットにホッカイロを入れ、首のまわりにも三個ほど装着している。でも、寒い!
 このお水取りの儀式、今年で一二六三回目だそうだ。一二六三年ものあいだ、一度も途絶えることなくつづいてきたのである。戦争のときも、途切れることはなかった。深く感動させられる話ではないか。もともと神様は戦争をしないのだ。戦争をするような神様には、神様の資格がない。そのことをキリスト教やイスラム教の神様に向かって、ここではっきり言っておきたいと思う。
 午後七時になると境内の照明が落とされる。幽玄な鐘の音が聞こえてくる。いよいよはじまるのだ。ざわめいていた境内も、いつのまにか静まっている。遠い掛け声とともに、最初の松明が左側の階段を駆け上がってくる。この松明は、行のために籠っている僧侶(練行衆)を、お堂へ導くための明かりであり、童子と呼ばれる付き人が担いで上がることになっている。練行衆を見送ったあと、童子は舞台の欄干から松明を空に向けて突き出し、回転させて盛大に火の粉を散らす。松明の長さは八メートル、重さは六十キロ以上あるそうだ。
 今年は遠景を狙いたいということで、ぼくたちは後ろのほうに陣取っていた。二月堂の舞台を背景に、無数のスマートフォンが発光している。みんな写真を撮っているのだ。横にいる小平さんが呟いた。
 「一億総スマホ時代……」
 ぼくはボブ・ディランの『ビフォー・ザ・フラッド』というライブ盤のジャケットを思い出した。聴衆がライターやマッチの火を掲げてスタンディング・オヴェイションを送る、その光が一面に映っているジャケットだ。消防法によって姿を消した光景が、いまスマホによって二月堂に甦る。
 打ち振られる松明の数は十本。時間にして二十分ほどだが、すでに身体は芯から冷え切っている。早く熱燗で一杯やろうと、ただそれだけを考えて、ぼくたちはわき目も振らずに二月堂を後にした。
 

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片山恭一 (Kyoichi Katayama)

片山恭一 (Kyoichi Katayama)

ライタープロフィール

小説家。愛媛県宇和島市出身。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。2001年刊行の『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラーに。ほかに、小説『静けさを残して鳥たちは』、評論『どこへ向かって死ぬか』など。

小平尚典 (Naonori Kohira)

小平尚典 (Naonori Kohira)

ライタープロフィール

フォトジャーナリスト。北九州市小倉北区出身。写真誌FOCUSなどで活躍。1985年の日航機墜落事故で現場にいち早く到着。その時撮影したモノクロ写真をまとめた『4/524』など刊行物多数。ロサンゼルスに22年住んだ経験あり。

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