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裏ななつ星紀行~紀州編 第一話
文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)
- 2015年9月5日
小説家・片山恭一と写真家・小平尚典が、“真の贅沢ってなんだろう?”と格安ローカル列車の旅にでた。
またまたやって来ました、裏ななつ星の旅。キーワードは「裏」と「シニア」。トレンドの裏道を、シニアの気ままさでのんびり旅をしよう、というおおらかな、というか大雑把な企画である。
今回の旅のスタートは奈良。なぜ奈良なのか? これには深くはないけれど理由がある。旅の相棒、フォトグラファーの小平さんは、五年ほど前から毎年、東大寺は二月堂のお水取りを撮りつづけている。ぼくは去年、はじめて同行させてもらい、すっかり魅せられた。いまでは二人とも、この行事に立ち会わなければ春を迎えた気分になれない、という難儀な身体になってしまっているのだ。
お水取りは三月一日にはじまり二週間つづく。ぼくたちは中ほどの、人が少なそうなときを選んで出かけることにしている。仕事の関係で、小平さんは京都から、ぼくは新大阪から奈良に入り、夕方落ち合って東大寺へ。シニア二人組にしては、冒頭からロマンチックな展開だ……が。
「東大寺は冷えるよ」
「ぼくはズボンの下にパジャマをはいてきました」
「やるねえ。ホッカイロを調達しとこうか」
「熱いお茶も欲しいですね」
いつものように日本一人懐っこい(あるいは日本一ずうずうしい)鹿が出迎えてくれる。かわいいので、つい何枚も写真を撮ってしまう……が、そんなことをしている場合ではない。急ぎ足で二月堂へ。松明が登場するのは午後七時。ぼくたちは六時半ごろ到着した。二月堂の前の人はそれほど多くない。かわりにものすごく寒い。奈良に春を呼ぶお水取り。ということは、お水取りが終わるまでは、いくら呼んでも春は来てくれないのだ。寒がりのぼくは両方のポケットにホッカイロを入れ、首のまわりにも三個ほど装着している。でも、寒い!
このお水取りの儀式、今年で一二六三回目だそうだ。一二六三年ものあいだ、一度も途絶えることなくつづいてきたのである。戦争のときも、途切れることはなかった。深く感動させられる話ではないか。もともと神様は戦争をしないのだ。戦争をするような神様には、神様の資格がない。そのことをキリスト教やイスラム教の神様に向かって、ここではっきり言っておきたいと思う。
午後七時になると境内の照明が落とされる。幽玄な鐘の音が聞こえてくる。いよいよはじまるのだ。ざわめいていた境内も、いつのまにか静まっている。遠い掛け声とともに、最初の松明が左側の階段を駆け上がってくる。この松明は、行のために籠っている僧侶(練行衆)を、お堂へ導くための明かりであり、童子と呼ばれる付き人が担いで上がることになっている。練行衆を見送ったあと、童子は舞台の欄干から松明を空に向けて突き出し、回転させて盛大に火の粉を散らす。松明の長さは八メートル、重さは六十キロ以上あるそうだ。
今年は遠景を狙いたいということで、ぼくたちは後ろのほうに陣取っていた。二月堂の舞台を背景に、無数のスマートフォンが発光している。みんな写真を撮っているのだ。横にいる小平さんが呟いた。
「一億総スマホ時代……」
ぼくはボブ・ディランの『ビフォー・ザ・フラッド』というライブ盤のジャケットを思い出した。聴衆がライターやマッチの火を掲げてスタンディング・オヴェイションを送る、その光が一面に映っているジャケットだ。消防法によって姿を消した光景が、いまスマホによって二月堂に甦る。
打ち振られる松明の数は十本。時間にして二十分ほどだが、すでに身体は芯から冷え切っている。早く熱燗で一杯やろうと、ただそれだけを考えて、ぼくたちはわき目も振らずに二月堂を後にした。
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