第85回 飼い主の期待
文&写真/寺口麻穂(Text and photos by Maho Teraguchi)
- 2015年10月5日
親なら子供が生まれた時、その子にさまざまな期待を託すでしょう。「頭のいい子になりますように」「大物になってほしい!」「優しい子になってください」など。同様に、犬の飼い主も愛犬にさまざまな期待を抱いているのでは? 今回は、「飼い主の期待」と題し、自分の懺悔的経験を基に、飼い主の期待がもたらす愛犬との関係についてをお話します。
余裕ができたら
やっと犬を飼うことを決意し迎え入れたジュリエット。そんな彼女との暮らしは、どちらかと言うと無我夢中で、彼女に対してあれこれ期待を持ったという記憶はありません。というのも、ジュリエットは私と出会う前は、人間から、拷問、虐待を受ける生活で、飼い主から社会性を学ぶ機会や、十分な運動、また愛情さえも与えられたことなし。期待を抱くより、普通に楽しく暮らせればそれでいい、という気持ちが一番でした。ところが、現在の愛犬ノアをアダプトした頃は、自分に「犬と暮らす」という点で余裕があったために、その頃成長期真っ盛りの彼への期待が、それはそれはたくさんありました。
実はノアと出会う数年前に、その当時通っていたアニマル・シェルターで、「これぞ理想の犬!」という犬を見つけました。当時は高齢のジュリエットとの二人暮らし。残念ながら、どう頑張ってもジュリエットより一回り大きいエネルギー溢れる若い雄犬を迎え入れることは無理でした。しかし、それからも私の頭の中には偶像化したその犬のことが頭の片隅にありました。
何か違う
その理想犬は、なんとも自信に満ち溢れた犬でした。といって他者に恐怖感を与えるようなことはまったくなく超社交的なのですが、実に堂々としていました。だから私は、容姿の似たノアを同じような性質だと勝手に思い込んで、自信に満ちた犬になるのだろうと、大きな期待を抱いていたのです。それもそのはず。うちに来る前に付けられていた名前は「マッチョ(逞しい男)」でした。しかし、実はノアはアメリカで言うなら「チキン」そのもの。体は大きいのに、気の小さい弱心者。ビビリ光線を発しまくるので、いじめるタイプの犬たちに何度も襲われています。私の中で「何かが違う」というギャップを感じていたのは確かです。にも関わらず、勝手に自分の枠に入れようとしていました。しかし、ノアはノア。私の期待に沿えないことは沿えないと、彼なりの意思表示や反発をし、しばらくはちぐはぐな関係が続きました。そのうち、私が「本当のノア」を見ることができ、彼のそのままを受け入れ、それを彼の長所と愛し始めたら、ノアとの関係はぐっと接近しました。
ノアは、牙を剥くことも、唸ることもしません。嫌なら逃げるか観念する。そんなノアですから、赤ちゃんでも、外で初めて会う人でも安心して遊ばせることができます。臆病だけど、ひょうきんで人懐っこいノア。彼のすべてが理解できる今は、以心伝心で何でも分かり合える関係になりました。
相手に色々期待を抱くのも愛情のしるし。しかし、現実とのギャップと真っ直ぐ向き合うことが、飼い主の真の愛の証明ではないでしょうか。
※今号で執筆5年になりました。いつもご愛読ありがとうございます。これからも引き続き宜しくお願いします。次回は、「CAビーチ事情」と題し、カリフォルニアのビーチと犬についての話です。お楽しみに!
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