第24回 ルートが見えるか
文&写真/樋口ちづ子(Text and photos by Chizuko Higuchi)
- 2015年4月20日
春になると一人の若者の後ろ姿をくり返し思い出す。30数年前に焼きついたイメージだ。
夫は豪雪の新潟県出身である。屋根に積もった雪を下ろすのが冬の大仕事。厳しい自然に耐えて生きる人たちだから、我慢強い性格の人が多い。冬の遊びはスキーしかない。勢いスキーは抜群にうまい。
米国にたった500ドルとトランク一つでやってきた私だが、夫も負けず劣らず貧乏だった。共働きで長時間働いたが、唯一の楽しみがスキーだった。新婚の私たちが暮らしたラスベガスには車で45分南にチャールストン山があり、小さなスキー場がある。地元の人だけの貸切のような穴場である。そこで、雪山など見たこともない私に、夫は根気よくスキーを教えてくれた。
1年間、週6日働きで彼と一緒の休日は1日もなかったが、ついに1年後の春、二人揃って1週間の休暇がとれた。目指すは憧れのカナダ、バンフである。
3日連続で違うスキー場で滑った。難所を滑りたくてうずうずしている夫に負け、3日目に私には実力以上の山にチャレンジした。
山あり谷ありの長いコース。快晴に恵まれ、山の頂上でカナディアンガールたちがスキージャケットをぬいでいた。キャー、中は水着だった。女の子も太陽もまぶしい。しかし、山を下り始め、急な坂にさしかかった時だった。たちまち空がかき曇り、暗くなった。悪い予感がした。粉雪からすぐにブリザードになった。横殴りの雪がものすごい勢いで吹きつけ、身体が雪にうまってゆく。恐怖感が走る。その時、どこからか「みんな動くな」と声がかかった。長い時間のように感じられた。ふと、風が落ち、ブリザードが去った。雪だるまがあちこちに立っていた。同じ声が「早く山を下りろ」と指示した。緊迫感があった。夫も「大丈夫か、急げ」といった。
すぐに坂を下り、次の丘の斜面に出た時、山と山に挟まれた。突然、ホワイトアウトが起こった。雪山がお互いに反射して何もかもが真っ白で何も見えなくなる現象だ。夫が「俺のスキーの跡をそのまま滑れ、見失うなよ」と言った。声が震えていた。気温も落ちてきた。我々が危険な状況にあるのがわかった。一列で滑っているから、私が前を行く夫の足跡をはずせば、後続の人をまきぞえにして遭難の可能性も出てくる。体力をふりしぼり、夫の足跡についていった。
やっと麓にたどり着いたときその場に倒れこんだ。「みんないるか?」と同じ声。あちこちからオーと声があがった。見知らぬ声に助けられたあの時のことは忘れられない。
4日目は疲れ果て、開通したばかりの観光バスに乗り、ジャスパー氷河見物に出かけた。大型バスに乗客は老夫婦と我々にリュックを背負った若者だけ。ドライバーは冬は雪山ガイド、シーズンオフは観光バスの運転手をしている、と自己紹介した。カナディアンロッキーの壮大な雪景色の中をバスが行く。凍った滝が水色の帯になってたれ下がっていた。ちっぽけな人間などものともしない厳しく美しい別世界だった。
突然、大雪原のど真ん中でバスが止まった。若者が降り、ドライバーが山の彼方を指差して何かを教えている。さっさとバスに戻ると、彼を置いて、走り去るではないか。私は仰天して「彼は大丈夫なの?」と叫んだ。こんな大雪原に一人ぼっち。天候が変わったらそれまでだ。自殺行為以外のなにものでもない。冗談じゃあない。ところが「撲がルートを教えたから大丈夫だよ」とドライバーは涼しい顔だ。ルートって私には気の遠くなる程の大雪原しか見えない。
後ろをふりかえると、若者はすでに歩き始めていた。私はみるみる点になってゆく後ろ姿を忘れることができなかった。
目的地が胸の中にある人にはルートがくっきりと見えるらしい。大雪原を一人歩き始めたあの若者と同じ勇気が自分にあるだろうか。春になると、わが身に問うのである。
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