シリーズ世界へ! YOLO⑰
自転車で回る台湾~前編
文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)
- 2015年3月5日
台湾を、自転車で回ってみませんか?――ビックリするような素敵な誘いを受けて、旅に出た。お金をかけず、誰でも使えて、環境にやさしい、庶民の乗り物。人口が密集する都会で、のんびりした農村で、波が打ちつける海岸で…。食べることに負けないぐらい、自転車が好き! 明るく優しい台湾の人たちに出会った。
ロサンゼルスから、チャイナ・エアラインズの直行便で台北(タイペイ)へ。桃園(タオユアン)国際空港に着いたのは深夜近く。そのままホテルにチェックインして、数時間仮眠。翌朝、松山(ソンシャン)空港に移動して、国内線で台東(タイトン)へ飛んだ。
台湾は、地図で見るとスイートポテトのような形をしている。国土の大半が山で、海上に浮かぶ島を含めて火山が多い。だから温泉もある。
台北からちょっと下っただけなのに、台東では気候も風景もすっかり南国風になる。空港からバンに乗り込んで、池上(シーチャン)へ向かった。
台東は農業県で、緑が多い。開発が進んだ台湾の中で「一番おくれている場所」とも言われるが、その分「原風景」が残っていて、観光地として人気がある。
ロードサイドには果樹園が多く、商店の店先に名物のチェリモヤが並んでいた。一つ買ってその場でカットしてもらい、旬を味わう。白くて甘くて、ねっとりしている。
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池上は、台湾で有数の米どころだ。ここで、「田んぼの中を自転車で走る」ことになっていた。ロサンゼルスから、私と、ツーリングの経験も豊富なサイクリング愛好家のカップルを含めて、5人のグループだ。
正直言って、サイクリングには恐怖感があった。クルマ社会のロサンゼルスでは、ふだん自転車に乗るなどあり得ない。東京でマウンテンバイクを買って行楽に出かけていた時期もあったが、いつしか終電を気にせず飲んで帰るための手段となり…。最後に乗ったのは、軽井沢。雲場池へおりる坂道で転倒してケガして以来、になる。
そんなわけで、セミプロと並走して前傾姿勢で坂をのぼったりするのかしらと不安が募り、転倒に備えて、膝あてとクッションつきパンツを買いそろえたのだが…。
田んぼの中にある貸し自転車屋には、カゴつきの「ママチャリ」がだーっと並んでいた。老いも若きも、僧侶もガキも。ちょっとそこまで買い物に行くような気軽さだ。安心して、ちょっと拍子抜けするぐらいだった。
黄緑色の稲がなびく道を、こぎ出す。なんということはない、田んぼの中にまっすぐ伸びた道路を自転車でゆっくり走るだけなのだが、気持ちがいい。みんな楽しそうだ。
1本の木の前に、人が群がって写真を撮っていた。ガイドさんに聞くと、「有名な俳優がCMを撮影した場所です」という答え。「ジン・チェン・ウー、知りませんか? 日本でも人気がありますよ」
案内板で漢字を見るまで分からなかったが、日本人の父と台湾人の母をもつ金城武のことだった。台湾の航空会社EVAのCM。もみあげ凛々しい金城が自転車をとめ、木の下に腰をおろしている。横には銀色の大きなやかん。チノパンと白いシャツが風に揺れ、「I SEE YOU」というフレーズが流れる――。
それだけなのだが、台湾の人たちの心に深く響いた。こんなに美しいリラックスした雰囲気の場所が自国にあったなんて…。「働きバチのような生活を見直して、人生をエンジョイしよう」というムードもあって、休暇に池上を訪れ、自転車に乗るのがブームになったそうだ。
水田の中を走って時々とまってセルフィーを撮るという、なんともアナログなエコツーリズム。自転車のレンタル料も安いし、地元に莫大なお金が落ちるわけではないだろうけれど、資源の活用という意味では賢い「町おこし」になっている。日本の過疎の村でもやってみたらいいかもしれない。
金城武の木は、近年の台風で根こそぎ倒れ、今は再植したのを棒で懸命に支えている状態だ。それでも訪れる人が絶えず、みんな嬉々として記念撮影している。終わるとまた自転車に乗って走り出す。山が見えて、鳥のさえずりが聞こえる。それだけなのだけれど、飽きない。
田んぼの中には、質素な売店が1軒あるだけ。池上の有機栽培米の小さなパックや、美味しそうなおせんべいを売っていた。
アジアの多くの人にとって、田んぼは「心の原風景」だ。金城ファンでなくても池上に惹きつけられる理由は、そんなところにあるのかも知れない。
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台湾を南北に貫く中央山脈のふもとにある、布農(ブーノン)部落をたずねた。
台湾には、政府が認定している約15の先住民族がいる。布農はその一つだ。もとは山間部でシカやイノシシを追って暮らす狩猟民族だったが、アヘン戦争で中国が弱体化するとキリスト教に改宗させられ、日本の台湾占領時代(1895〜1945)には平地へ移住させられるなどして、徐々に生活の糧や伝統を失った。
部落は、そんな彼らの文化保存や雇用を目的とした施設。都市部に出稼ぎに行く代わりに、ここで野草を使った火鍋で観光客をもてなしたり、木彫り細工を作ったりしている。
見晴らしのいいカフェがあり、20分ほどかけて、本格的な水だしコーヒーを飲ませてくれる。
平日の昼間、小雨まじりのせいか、部落は閑散としていたが、せっかくアメリカから来てくれたのだからと、売店の仕事や作業をストップしてみんなが集まり、歌と舞踊のステージが始まった。
布農の人は、歌がうまい。山の中では大声で叫んでコミュニケーションをとるため、自然と合唱が身についたそうだ。収穫祭ではハチの羽音をまねたコーラスをする。「助け合って働く」というハチの習性が、部族の精神に通じるからだとか。
ステージの最後は、「台湾我愛你」という歌になった。台湾ウォー・アイ・ニー、アイ・ラブ・ユーという意味。湿った風の中を、ゆるいポップス調の歌声が流れていく。「いい歌ですねえ」と言ったら、スタッフの女性がCDをくれた。「日本の雑誌に載ったことがある」と、記事のコピーも探して持ってきてくれた。
人と人の出会いには、いろいろな形がある。戦争中は、私の祖先が、彼らの祖先に、つらいことを強いたのかも知れない。世代も時代もいずれ移り変わるけれど、いつであってもどこであっても、こんな出会い方ばかりならいいのに…と思う。
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夜は台東のダウンタウンへ出かけた。繁華街の隅にある公園に、地元の子供たち手作りの灯籠(ランタン)が飾ってあって、そこだけ煌々としている。
台東は田舎で、若者が遊ぶところがない。音楽に長けた先住民の若者が沢山いるのに、発表して腕を磨く場が少ない。――そんな不満を解消するため、「ティエフア音楽村」というライブハウスが、この公園の中にできた。
「今夜はオープンマイクです」。屋台で売っている2〜3ドル程度のドリンクを買って入る。それがチケット代わりだ。
歌いたい人は、入り口の黒板に名前を書く。先着順で1人10分、3曲以内のステージが与えられる。出演者の7割ぐらいが先住民の若者だという。兄貴分の人が仕切っていた。
ギターやドラム、ボーカル。みんな10代後半か20代前半ぐらいだろう。歌はもちろん、曲と曲の間の掛け合いや笑いをとるタイミングもうまく、スワッガーもきいている。
3ドルでこれだけ聴けたら贅沢だ。ちょっとメローな青春の音色。生暖かい夜風に、目を閉じた。
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