映画界復帰のきっかけは
G・オールドマンからのオファーだった

Text by Keiko Fukuda / Photo by Haruna Saito

祝 アカデミー賞受賞
メイクアップ・アーティスト/現代美術家
辻一弘

 3月4日、ハリウッドのドルビーシアターで開催された第90回アカデミー賞。今年は日本人のメイクアップ・アーティストの辻一弘さんが、メイク・ヘアスタイリング部門で受賞。辻さんは『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男(原題: Darkest Hour)』で、チャーチルに扮するゲイリー・オールドマンのメイクを担当。同日、主演男優賞を手にしたオールドマンはスピーチで「カズに感謝を」と述べた。授賞式に先立って開催された在ロサンゼルス日本国総領事公邸での激励レセプションで、辻さんが披露したプレゼンテーションの概要をお届けする。

ハリウッドに行きたい

 子どもの頃、学校嫌いだった私は日本の教育システムを信頼できず、どうやったらそこから抜け出せるのかを考え続け、少しでも早く好きなことに携わりたいと思っていました。私が夢中になったのは、映画『スター・ウォーズ』です。強烈なインスピレーションを受けました。そんな時、京都の本屋で偶然目にした映画雑誌から、メイクアップ・アーティストであるディック・スミスを知ったのです。彼が施したリンカーンの特殊メイクに衝撃を受け、どうしても特殊メイクアップの仕事をやりたいと思うようになりました。

 思いが高じてディック・スミスに手紙を書いたところ、なんと本人から返事が来ました。「(メイクアップ・アーティストになるための)いい学校などない。自分でやるのが一番だ。君が自分の作品の写真を送ってくれたら、コメントを送ってあげよう」という内容でした。

 そして1987年、ディックが日本の『スウィートホーム』という映画のスーパーバイザーを務めることになり、私にも現場で働くチャンスがめぐって来たのです。 まだ18歳でした。さらに、黒澤明監督の作品にも携わって「ハリウッドに行きたい」という気持ちを抑えられなくなりました。問題はビザです。しかし、たとえ不法(イリーガル)であっても私は行く、と決心したのです。当時24歳。すでに同じ年頃の生徒を相手に、特殊メイクを教える立場でした。ハリウッド行きを宣言した私は、紹介によってリック・ベイカーの下で働くことになりました。

現代美術の世界へ

 ところが、『グリンチ』という作品が私のその後に大きく影響しました。私はジム・キャリーの特殊メイクを担当したのですが、何があったかは報道関係の方々の前では言えません(笑)。あの映画が、フィルムビジネスに関わることは辞めようと思うきっかけになりました。

 その後、ディックの80歳の誕生日プレゼントに、彼のポートレイト・スカルプチャーを制作しました。これをディックに贈った時の彼のリアクションを目にしたことが、新たな転機となりました。ディックは感動して泣いてくれたのです。こういうことこそが、自分のやりたいことだと思えました。映画の仕事はお金になります。でも、美術の世界で食べていくのは難しいのが現実です。それでも、ブルース・ウィリスの『ルーパー』を最後に映画界を去り、ポートレイト・スカルプチャー作りに専念するようになりました。リンカーン、アンディ・ウォーホル、サルバドール・ダリら、影響を受けた人々のポートレイトです。

 2016年の初め、ゲイリー・オールドマンが私に連絡をしてきました。ウィンストン・チャーチルを演じるにあたって、私に特殊メイクを担当してほしい、もし私が断れば、彼も映画のオファーを受けないと言うのです。脅しですよね(笑)。「1週間ください」と答えました。すでに映画業界を去った私が再び映画に携わるのは、自分の人生を欺くような気がしました。しかし、私はこの仕事を受ける決断をしました。作品としての出来上がりは非常に素晴らしいものになったと思います。私は才能があるゲイリーに、今度こそオスカーをとってほしいと願っています。そして、彼はとると信じています。今後(映画からの)オファーを受けるか? 良い作品になると思えれば受けます。でも、これからも中心はアート作品作りです。

Photo © Haruna Saito

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福田恵子 (Keiko Fukuda)

福田恵子 (Keiko Fukuda)

ライタープロフィール

東京の情報出版社勤務を経て1992年渡米。同年より在米日本語雑誌の編集職を2003年まで務める。独立してフリーライターとなってからは、人物インタビュー、アメリカ事情を中心に日米の雑誌に寄稿。執筆業の他にもコーディネーション、翻訳、ローカライゼーション、市場調査、在米日系企業の広報のアウトソーシングなどを手掛けながら母親業にも奮闘中。モットーは入社式で女性取締役のスピーチにあった「ビジネスにマイペースは許されない」。慌ただしく東奔西走する日々を続け、気づけば業界経験30年。

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