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シリーズアメリカ再発見⑫ 南北戦争150周年
ゲティスバーグ~モンティチェロ 霊場街道をゆく
文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)
- 2013年6月20日
To Manassas
マナサスへ
メリーランドからバージニアに入ると、車窓の景色は一段と美しくなる。
アメリカの南部には、独特の優美さと豊かさがある。食文化は濃厚で、何を食べても素晴らしい。でも「桜の木の下には死体が眠っている」という表現ではないけれど、美しさの下に、ドロドロと暗く醜い歴史が渦を巻いている。そして、断固としてそれを見まいとする空気が覆っている。南部を旅すると、いつも私はその激しい対比に胸が重くなる。美しくお化粧しているので、目を背けようとすればできるのだけれど…。
ゲティスバーグからモンティチェロまでの「The Journey」は、一直線で突っ走れば3時間ほど。ミドルバーグは、ちょうど中間地点になる。地元産のハチミツやジャムを売る店、アンティークショップやB&Bが目に留まる。狩猟が盛んなのだろう。街中の看板やサインに、キツネや犬が使われていた。
老舗レストランで、バージニア名物のピーナッツのスープを頼んだ。栄養たっぷり、コクがあってまろやかで、塩気も甘さもちょうどいい。アレルギーの人には悪いけれど、毎日でも飲みたい味だ。缶詰で売っていたらいいのに…と思ったが、鮮度が命。伝統食の珍味で、今は州内でも本格的なスープを出す店は数軒しかないそうだ。
ミドルバーグを過ぎたあたりから、古戦場の看板がぐっと増える。バージニアは南軍の本拠地で、南部連合の首都はリッチモンドにあったのだから当然か。特に、鉄道の要所だったマナサスでは、2度の壮絶な戦いがあった。
奴隷主の大規模なプランテーション跡も幾つも残っている。オートランド、ローモンド、ライベリア…。これら農園では、タバコや小麦、トウモロコシの栽培、牧畜などが奴隷労働でまかなわれた。戦争が始まると、プランテーションは各地の戦場から輸送されてくる負傷兵の野戦病院と化し、屋敷は南軍の司令本部に使われた。
マナサスから南へ、カルペッパーまでの道のりは鉄道の線路脇を通る。時折、列車と並走する。ローリングヒルと呼ぶのがぴったりの緩やかで起伏ある丘陵にオレンジの花が咲き、さざめくような美しさだ。
「バージニアのような美しい場所はほかにない」。そう言うアメリカ人に時々会うけれど、分かる気がした。
◆ ◆ ◆
「The Journey Through Hallowed Ground」は今年、ゲティスバーグからモンティチェロまでの道路沿いに62万本の苗木を植樹する事業をスタートさせた。南北戦争で死んだ62万人の兵士への鎮魂を込めて。やがてこの歴史街道を、赤やピンクの花が染めるだろう。
「Hallowed Ground」は霊場、聖地という意味だ。なぜそう名づけたのか。コミュニケーション・ディレクターのショーンさんが理由を教えてくれた。
「南北戦争はアメリカの歴史の中で、その後を決定づける最も大きな出来事でした。自由と平等の探究という問いに(これは今も続いていますが)、一つの答えを出した瞬間でした。多くの人が、信じるもののために命を賭け、亡くなりました。家族の歴史をさかのぼれば、誰か一人は犠牲者が見つかります。だから多くのアメリカ人にとって、南北戦争は今も非常にパーソナルな出来事なのです。独立戦争やフレンチ・インディアン戦争でも、この一帯が戦場になりました。いわばここは『アメリカという体験の始まりの場所』なんです」
ショーンさんは、植樹することで、訪れる人に「特別な場所にきた」と感じてほしい、と言っていた。ふと昔、鹿児島・知覧に行ったときのことを思い出した。街から特攻隊の飛行場跡まで、道路の両脇にずらりと若い兵隊の顔を刻んだ石灯籠が並んでいて、特別な場所にきたと思わされた。
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