シリーズ世界へ! YOLO⑬
行っちゃいました! 夢の南極 (Antarctica)
〜後編
文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)
- 2013年9月5日
Day 8 ︱ 13 December 2012
- 記録時間1900hrs
- 緯度62˚12′ N/経度58˚56′ W
- 針路At anchor/速度At anchor
- 気圧993.3 hPa/風速calm
- 気温4℃/海面温度0℃
いよいよ南極で過ごす最後の日が明けた。「今日は特別な1日になる」とドン隊長が繰り返した。
朝5時起床。すぐにゾディアックに乗り、ディセプション・アイランド(Deception Island)へ上陸する。真っ黒い土に驚いた。火山灰だった。
ここにはかつてノルウェーの捕鯨船やイギリスの観測隊の基地があったが、1968年に火山が噴火して壊滅したのだという。ウェイラーズ・ベイ(Whalers Bay)の入り江には、錆びた鉄くずやドラム缶、崩れかけた小屋が、時が止まったかのように放置されている。
昨日までいた真っ白で真っ青な南極とは、まったく違う世界。黒茶色の寂しい光景だ。それでもここは南米大陸から近いので、南極の中で最も訪問者の数が多い場所なのだそうだ。私たちが朝5時に起きなければならなかったのも、次のクルーズ船が8時には来てしまうから、だった。
船に戻って朝食をとった後、最後の上陸がアナウンスされた。エレファント・ポイント(Elephant Point)。厳密に言えば、すでに南極大陸は離れて、ここはサブアンタークティカ(亜南極)圏内のサウスシェットランド諸島の一部になる。
ずいぶんと大きな岩がゴロゴロ転がっている島だな。近づくにつれてそう思った。ゾディアックを降りて驚愕した。岩は生きていた。そして吠えていた。
怒れる海獣、サザン・エレファント・シール(ミナミゾウアザラシ)の群れだった。あっちを向いてもこっちを向いても、グルルルルルーッ、グワァーッと、言いようのない咆哮が、白い息となって灰色の海に向かって立ちのぼっていた。私は一瞬足がすくんでしまった。
成人したオスは体重が3トンにもなる。海岸に寝そべった姿から「デブの怠け者」だと思ったら大間違い。突進力はバッファロー並みだ。水に潜るとさらにすごい運動能力を発揮する。
オス同士は、命がけで縄張り争いとメスの奪い合いを繰り返す。血走った目で噛みつき合い、体を打ちつけ合って、流血の闘いはどちらかが死ぬまで続くこともある。ビーチマスターと呼ばれる大巨漢になると、一大ハーレムをつくって160匹ものメスを囲う。
視力も勘も相当なものだ。別のオスがハーレムに侵入しようものなら大変なことになる。油断して近づきすぎると私たち人間にも容赦なく吠えかかり、スタスタッとヒレを動かしてドスドスと走り出す。オスほどではないが、メスも年季の入った睨みをきかせてくる。
それと対照的に、嘘のようにかわいいのが赤ちゃんたちだ。生後6週間で体長が1メートルに満たない赤ちゃんアザラシは、大人をよけて砂浜に集まっている。私たち人間には、特に親しげだ。まんまるの顔、真っ黒でツルツルした毛皮。ガラス玉のような瞳をうるませて、這いずり寄ってくる。
「私たちからは手を出さない。砂浜にじっと座るか横たわって、赤ちゃんたちが近づいてくるのを待つだけでいい」とドン隊長。その通りにしていると、足元に来て長靴の匂いをかいだり、膝の上に乗っかってきたりするのだった。
ドン隊長はこの島に何度も来ていて顔見知りも多いのだろうか。横になるや、赤ちゃんたちの「添い寝攻撃」に遭っていた。ただし、ゲップだけはまともに受けてしまうと相当強烈らしいので、要注意。
赤ちゃんは1日9キロ増のペースで成長していく。徐々に黒い皮がむけて、茶色と灰色が混ざった体に脱皮していく。人間の世界でもよく言うけれど、「あんなにかわいかった子がどうしてこんな醜い大人に…」と嘆きたくなる。
ただ、よく観察していると、無邪気な赤ちゃんも何かの拍子でギョロッと目をむくことがある。そうすると目が赤く充血していてビックリする。ふとした仕草で口を開けて鼻をすする瞬間に「やっぱりパパに似てるかも」と思うのだった。
オスは18歳で生殖行為を始めるが、それから1年で死んでしまうそうだ。死闘も咆哮も、すべては「命短し、恋せよ醜男」ということか。
オス同士が殴り合っている横で平然と寝ている「妻」もいる。新婚時は気になった亭主の大いびきも、今じゃBGM。これぞエレファント・シール流「愛の形」なのかも。
ジョン博士に聞くと、地球上で一番数が多い哺乳動物は人間で、その次がエレファント・シールだという。案外似ているのかも知れない。
私たちは飽きることなく、何時間もこの灰色の島で過ごした。南極で、野生動物と心身ともに一番近く触れ合った時間だった。最後の最後に一番すごい体験が待っていた。
船に戻って、荷づくりを始めた。ユーリ船長からサヨナラのドリンクが振る舞われた。バーは、名残を惜しむ人たちで夜遅くまで賑わった。
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