サンアントニオ到着は夜になってしまった。南部を襲った嵐の影響で、飛行機がだいぶ遅れたからだ。小雨も降っていた。でも、せっかくの「フィエスタ」の夜。サンアントニオが1年で一番盛り上がるお祭りだから、ホテルで寝るだけではもったいない。荷物を置いて、ダウンタウンのメイン・プラザへ向かった。
1731年にできたサンフェルナンド大聖堂がここにある。夜になると、この北米最古の大聖堂の壁を使って「San Antonio / The Saga」というビデオアートが上映されるのが話題になっていた。
音楽とともにカラフルにドラマチックに、テキサスとアメリカの歴史が映し出される。リンカーン大統領やフレデリック・ダグラスの顔が、雨に濡れた石の壁に浮かび上がる。なかなかのものだ。
繁華街を歩くと、クラクションがうるさい。車から身を乗り出した人たちが奇声をあげて走り去り、バーの入り口から顔をのぞかせて叫び返す人もいる。さすがフィエスタ、騒々しいな、と思ったが、どうも違う。
そうか、NBAのプレーオフが始まったんだ。「サンアントニオ・スパーズ」は、今夜が初戦だったか。勝ったのだろう、きっと。アラモドームはそんなに遠くなかったはず…。そう考えながら歩いていると、試合帰りの人、スポーツバーで観戦していた人たちが、どんどん街に繰り出してきた。
それにしても、第1ラウンドの初戦だ。スパーズはシード2位。相手は格下のメンフィス・グリズリーズで、地の利もあるのだから、勝って当然。そこまで喜ぶかなあ…。スポーツ好きな私は、NBAに限らず、ファンが熱狂する現場を何度も目撃しているが、それらと比較してもずいぶんなテンションの上がり具合だった。
滞在中に何度も実感したことだが、サンアントニオの人たちは、史跡「アラモ砦」よりもフィエスタよりも何よりも、スパーズが大好きなのだ。街で唯一のプロスポーツ。自分の家族のように思っている。
地味でまじめ、規律に従い、派手な個人プレーを嫌ってチームに徹する選手たち。アメリカのプロスポーツとしては「つまらない」。だが、これが強いのだ。ディシプリンがしっかりしているから、「第4クオーター残り2分」のような最高潮のプレッシャータイムで、崩れない。
デイビッド・ロビンソンもティム・ダンカンも、入団から引退までスパーズだ。FA宣言するなり高給を求めて移籍するのが当然の時代に、珍しい。監督も20年間変わらない。
1997年以来プレーオフに毎年出場、優勝5回。これほどすごいのに、レイカーズやヤンキース、ペイトリオッツのような注目はされない。
唯一「スキャンダル」めいたのは、2012年にTNTの人気解説者チャールズ・バークレーが番組でサンアントニオを茶化したとき。「サンアントニオの女性は体がでかい。チュロスばかり食べている。街を流れるサンアントニオ・リバーは本物の川じゃなくて小川だ」などと言って、爆笑を誘った。
これにサンアントニオのファンは総出で応戦。当時のフリアン・カストロ市長がビデオで挑戦状をたたきつけ、バークレーはサンアントニオを訪問。リバーボートに乗って観光し、「すばらしい街だ」と降参する羽目に。快進撃を続けるスパーズのサイドストーリーとして、しばしスポーツファンを楽しませた。
滞在中、サンアントニオの女性に会うと、「あれは面白かったですねー」と私はつい言ってしまったのだが、そのたび真顔で憤慨された。「あなたたちにとっては面白かったでしょうけどね…」。あわてて「でも市長の反撃が小気味よかったじゃないですか」とフォローすると、途端に表情が晴れて「してやったり」と笑顔になるのだった。
ここまでわかりやすいファンもあまりいない。小さな街だからだろうと決めつけていたが、実はサンアントニオはアメリカで7番目に人口が多い都市だと知ってびっくりした。微笑ましい雰囲気は、街のサイズではなく「人柄」によるものなのだ。「Down-to-earth」という英語がぴったりくる。
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