第17回 仕事から得たもの
文&写真/樋口ちづ子(Text and photos by Chizuko Higuchi)
- 2014年9月20日
仕事がなくなったらどうしよう、と考える時がある。というのは、18歳で故郷の山口県萩市を出てから、学生時代も含め、限りなく仕事人生だったからだ。
私の世代の日本では「良家の子女は働くものではない」という現代からすれば考えられない社会通念があった。良家には生まれなかった。いつもいつも、働かねば食って行けない運命を呪い、恥じた。
と言って、働くのが嫌でいやでしょうがなかったかと言うと、そうでもない気がする。やらなければならないことを、気合の入っている朝に次々と片付ける。退屈する暇がない一日は悪くない。仕事を通して沢山の人に出会い、知識を増やし、学び、反省したから、成長した側面がある。
大学職員、教師、掃除婦、ウエートレスなど、いろいろな仕事をした。特にアメリカに来てからは日本に居たら決してしなかっただろう仕事もした。自分の働きで収入を得ることができるのなら、何でもした。「アメリカで生きてゆける」実にうれしかったですね。誰に頼らなくてもいいのだ。自分で自分の人生を創ってゆけるのを実感した。
それに仕事には副産物がつく。教師は短い10分の休み時間に次の授業の段取りをする。欠席した生徒の宿題を用意する。コピーを取る。質の良い授業の他に山積する雑用をほぼ完璧にこなさなくてはならない。幼い生徒は先生のミスをミスとは判断できないから、自然に短時間で雑用を処理できるようになった。これは一生役立つ。
ウエートレス業はいつでも、誰にでも、気持ちの良い笑顔で接し、相手にサーブするのが仕事の基本だ。明るく、謙虚に、誰とでも、相手の好む話題で社交ができるのは、この仕事をしたお陰だと思っている。これも一生使える。
こうして仕事に助けられたのに、心の奥では、まだ、働くことを恥じていた。それが氷解する時が来た。二人の作家の言葉に出会ってからだ。
「親からもらったお金。夫が稼いで来てくれたお金。株や貯金の利子。そんなもので毎日過ごしてはいけない。自分の力で毎日、毎日、新しいお金を稼がねばならない。労働でもいい、知識や能力でもいい。自分の力を発揮してお金を稼がなければならない」
同じ山口県出身の作家、宇野千代の言葉である。働く自分を恥じる気持ちが一気に晴れた瞬間を今でも鮮明に憶えている。
宇野は名作「おはん」の作者である。文学史に名を留める作家でありながら、着物のデザインをし「スタイル」という雑誌を発行し、男性遍歴も華やかだった。
しかし、彼女の実生活はいつでも働き、逞しく生活を支えていた。おしゃれで、料理も上手だった。98歳で亡くなるまで「毎日、新しいお金を稼ぐ」ロールモデルになってくれた。
もう一人は邸永漢である。「お金を稼ぐには、自分の労働なり、才能なり、社会に役立つものを提供し、その見返りとしてお金を得る。だから、働くことは限りなく社会貢献だ」と。この言葉にも力付けられた。労働観が変わった。「どんな仕事でも全力を尽くし、プライドを持って働こう」と決心したような気がする。
言うまでもなく、お金を稼ぐのは容易ではない。イヤな事、悔しい事が沢山ある。手がけた仕事が心配で眠れない夜もある。我慢というブロック、悔しいというブロック、心痛のブロック。これらのレンガを黙って一つひとつ積み上げて自信になる。自分を信じる。難しい事をやり遂げて、初めて、自信ができる。
どんな仕事でもいい。あなたの生活を支える今の仕事で頑張って下さい。どこで、誰に会っても、胸を張って。だって仕事は限りなく社会貢献なんですから。
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