劣化する命、育つ命

フローレンス

誰もが年を取る。アンチエイジングに積極的に取り組まれている方はそれなりの成果があるのだろうが、一般的には個人差はあっても加齢からくる変化は誰にでも訪れる。70歳になった時、「あらっ、こうなっちゃうの」と突然の変化に驚き、71歳になると変化は深刻になり、72歳、73歳となるとあっという間に激変する。こんなになるとは思わなかったというのが、正直で少し寂しい感想だ。経験している本人にはどんな変化も初体験だから、非常に興味深い。特別何も体に悪そうなことをしたわけでもなく、毎日同じことを繰り返しているだけなのに、ある日、それができなくなる。なんと不思議なことだろう。年を取るということがいまいちピンと来なかったが、ある時「体が劣化し始めるのだ」と悟り、すべてが氷解した。劣化が始まることが年を取ることなのだ。劣化してゆく愛しの体を見て、「ええ~、こうなっちゃうの」と心の中で叫んでいる。

ときどきアメリカの田舎をドライブすると、ポンコツ車が前庭や通りの端に放置され、朽ち果てている光景を見る。なんとか動いていた車は、ある時エンジンがかからなくなり、修理が面倒になって放置される。屋外では風雨にうたれ、太陽にさらされペンキがはげ、サビが発生し、ついには鉄板もサビで粉々の粉末になり、朽ち果てて土に還る。

人間の体の最後もよく似ている。具合が悪くなって歩けなくなり、寝たきりになる。体の機能が除々に衰え、精神的に萎えると体力も低下し各臓器が働かなくなり、死を迎える。ポンコツ車の末路と同じだ。人間が年を取ると我々の体はどうなるか具体的な経過が見えてくると、それは淋しいことだが、とても自然なプロセスで説得力がある。

人間はいかに健康に気をつけなければいけないかということを、投資の神様のウォーレン・バフェットがおもしろい例え話で語っていた。“もしあなたが一生に一台の車しか所有できないと分かっていたら、その車が一生もつように大切に使うはずだ。無茶な乗り方をせず、しっかりメンテナンスをし、長持ちさせる。一台しか所有できない車が我々の体だと考えれば分かりやすい。健康が一番大切なものなのだ”と。

ときどきアメリカ人仲間と話している時、亡くなった人が話題に上ることがある。専門職、功績、人格などの話題の後は、「彼はフルライフを生きた」という言葉でしめくくられ、皆が納得の表情をすることである。キャリアを積み、得意な分野で能力を発揮し、社会に貢献し、その一員としての責任を果たす。同時に結婚して子供が生まれ、育て、その子が結婚して子供が生まれる。生命体の一員としての責任も果たした。これがフルライフを生きたという表現になっていた。

自分の体が朽ち始めるのを見るのは、淋しく辛い。その辛さに耐えられるのは、自分の老いた体を踏み越え、子供が、孫が、私の魂を何らかの形で受け継ぎ、次の時代を生きてくれることを知る時だ。私は人生と格闘し、泣き笑い、愛し、憎み、許し、私の人生をフルに生きてきた。私の後を生き続けてくれる命もこの世に送り出した。生命体としての一コマの責任を果たした。これで良い。

子供一人を育てることは、親の一番良い時期の20年間を捧げ尽くすことだ。それだけの時間と労力と経済的負担を掛けて一人の子供を育てる。一生の一番大きな部分を捧げることが、一生命体としての責任である。

若い時はやってみたいことがたくさんあり、一人の命を育てることの重要性を分かっていなかった。大失敗である。子供を持つ持たないは個人の自由だとさえ思っていた。しかし今、自分の命が朽ち始めた時、朽ちる命の代わりをこの世に送り出したことを心底良かったと思う。私のフルライフは完結した。

いうまでもなく、これは私個人の浅はかな一意見にすぎない。今の世は、以前にもましてどんなふうに生きても良い個人の選択が大切にされる時代だ。

人にはいろいろな考えがある。自分にとっての最高の人生を生きれば良い。しかし、ほしいものは全部取りに行ったほうが良い。憧れる生き方は、遠慮なくがむしゃらに追いかけたほうが良い。命が終わる時に、ああ、すべての経験をしたな、豊かな人生だったな、と微笑んで命を終えることができるように。

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樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう43年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

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