森英恵の反骨精神
- 2022年10月7日
- 2022年10月号掲載
ファッションが好きな女性はたくさんいるだろう。私もその一人だ。休日の気晴らしは以前は本屋のはしごだったが、今は洋服店を見て回るのが楽しい。ファッションは世情を知る手っ取り早い手段でもある。流行りのデザイン、色、組み合わせに注意を払うと、今の景気の良し悪しなど世の中の動きが見えてくる。高級店から安物店まで先入観なく見ると、ファッションの仕掛け人の裏の意図が垣間見え、興味深い。質の高さはどこに表れるのか、オリジナリティとは何なのか、私たちは何に価値を見出し、何にお金を払っているのか。
私はおしゃれな人を見るのもとても好きだ。センス抜群で趣味の良い装いをしている人にはほとほと感心するが、とんでもない外見の人も面白くて惹きつけられる。一体この人はこの服装にどんな意図をこめているのか、人からどう見られたいのか、何になりたいのか。服装は無意識のうちにその人の内部が表れるから、外見からその人となりや生活を勝手に推測するのはなかなかのエンターテインメントだ。特定のイメージを他者にインプットする服装の力は大きく、反対にいえば、それを上手に利用する手もあるだろう。
そういう私も、その日の仕事内容に合わせて服を選んでいる。基本は無彩色のきっちり感のあるもの。長年の習慣で、それを着た途端にスイッチが入り仕事モードに切り替わる。シャキッとする。初対面の人と会う時はプロフェッショナル、仕事一筋の控えめな服装で。外見を気にせず仕事に集中できる。反対に、友人との気楽な集まりは明るくカラフルな色合いで、垢抜けない格好。相手も自分もリラックスできる。その間でも緊急の電話がかかればすぐに仕事に戻れるよう、いつも車の中に黒のパンプスとジャケットを持って出る。
ファッションがその人のアイデンティティを手っ取り早く表す役目を果たすなら、相手にこんな人だと思ってもらえるよう、ほんの少し考えて外見を意図的に作れば良い。簡単だしお金もかからず、第一何を着てゆこうか迷わなくて済む。
8月11日、日本人デザイナーの草分け的存在であった森英恵が、96歳で老衰のため亡くなった。1970年代、デザイナーといえば森英恵、ハナエモリといえば森英恵。そのブランドを知らない人は日本にいないほどだった。
島根出身の一主婦が、綺麗な洋服を作りたいという動機から出発した。その後アメリカに高級服を輸出し、パリオートクチュール業界に進出。世界の王妃、映画女優にドレスを提供する。雅子皇后の結婚時のローブ・デコルテ、航空会社やオリンピック選手の制服も手掛ける。日仏から勲章を受けたその70年の服作りの歴史と功績は輝かしいばかりで、今から50年前のあの時代に、こんな行動力と気概に溢れた日本人女性がいたのかと驚く。
彼女は初めて訪れたパリでココ・シャネルのショーを見て、どうしてもシャネルで服を作りたいと、夫に「カネオクレ」と電報を打った。シャネル自身から「あなたの黒髪には黄色の服が映える」とアドバイスされる。あの伝説の人から直接服作りの原点を教わった体験は、その後の彼女の信念と自信をどれほど支えたことだろう。
彼女はニューヨークでオペラ「蝶々夫人」を観た。長崎で米国海軍士官の現地妻になった蝶々さんの悲劇を描いたものだ。作品を観た彼女はショックを受け、我々はこんなんじゃあない、この屈辱をなんとか晴らしたいと決心する。日本と日本人女性の本当の美しさを蝶に象徴させ、彼女の反骨精神のトレードマークとなった。
孫の森泉さんによると、他人から自分がどう見られているかまったく気にしない人だったそうだ。また、色にも非常にこだわったとか。日本の美を世界に知らせたい一心の反骨精神を胸に、ハナエモリブランドを浸透させるビジネス戦略も計算し尽くし、果敢に挑戦した人でもあった。確固たる成功を手にした裏には、自己顕示欲以上の何かがあったはずだ。日本の美しさ、日本人女性の美しさを世界に示したいという純粋な動機が。50年前にこんな類まれな女性がいた。
故郷の島根では、蝶がひらりひらりと舞うと春が来るのだそうだ。華やかな表舞台のまばゆいばかりの蝶は、いつでも田舎の野に舞う原点の蝶に戻れる。飽きないから。素朴で純粋だからこそ、世界まで飛んでゆける。倦まず、弛まず、怯まず。エレガンスの中に強い反骨精神を秘めて。
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