三つ子の魂百まで
文/在米日本人フォーラム(Text by Japanese Forum USA)
- 2018年5月6日
日本は昔から資源が乏しい国と言われてきている。しかし、ここで実は資源はいくらでもある、と言ったら誰もが怪訝な顔をするに違いない。これは事実である。ここで言う資源とは「無駄」である。つまりこの無駄をなくすことにより時間と金を創生することができる。こう言われると反論する人は少ないだろう。
昔の人はうまいことを言ったものだと思う諺がたくさんある。そんな一つに「三つ子の魂百まで」というのがある。子供が生まれて3歳までに即ち幼年期に身に付けることがその人の一生にとってどれだけ重要かを諭したものである。
自分が子育てをしていた時にどれほどのことをしたか、あるいはむしろどれほど怠っていたかを思い起してみて欲しい。もちろん既に子供を育てた人が今になって「しまった」と思っても後悔先に立たずだが、それでもより多くの人が幼年期の子供の教育に大いに関心を持って欲しいものだ。
日本人の勤勉さは言うまでもない。そんな勤勉さが今の日本を作り上げてきたと思うと先人への感謝はひとしおである。しかし昨今の状況を見ると、この勤勉さが逆に日本にとって負の方向に働いていることが多いのに気づく。例えば、夜遅くまで残業することが常態化していて、そしてそれを当然としていることだ。それは、時には父親不在のまま子供たちが育ってゆくという環境を作っている。世の諺に、「親はなくても子は育つ」というが、今の時代はそんな生易しいものではない。親なくして子供が一人で勝手に育ってゆくものではない。
半世紀も前であれば、先人たちの父親は日本の経済復興のために懸命に働き、母親は家に残って一生懸命に子育てに専念した。母親は父親がいなくても父親が一生懸命に働いてくれるお蔭で今日も一日おまんまが食べられると、子供たちに教えていたものだ。(この段落は男女不平等を正当化するものではなく、当時の世情を表したもの。)
最近の状況はどうだろう。父親がいつもいないという状態は今も昔も変わらない。昔と大きく違うことは、今は夫婦共働きが当たり前となり、共働きと専業主婦の数はほぼ拮抗するようになった。(参考:2014年統計、日本の夫婦の数は約3,290万組、うち共稼ぎは1,430万組、専業主婦世帯は1495万組)。さらに、意識の上ででも、2012年度男女共同参画に関する世論調査(内閣府)によると、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」という考え方に反対と答えた人は45.1%であり、1992年の34.0%から11ポイント程度上昇している。
そんな現代の環境の中では、母親が一人で子育てをすることを常に負担に思い苦痛を感じるのは当然と言える。そして、そのことが父親への不満になっていることが多いのではないだろうか。
これは母親が悪いと言っているのではない。未だに子育てを母親に一方的に押し付けているとしたら父親が悪いのだ。そしてその父親が、「それのどこが悪い」と思っているようなら救いようがない。しかし、そうでなければ、これも必ずしも父親が悪い訳ではない。
社会の仕組みが大きく変わっているにも関わらず、父親をしてまともに家庭での時間を作れない状況を強いている労働環境が元凶というべきである。そして、悪いのは勤勉さという美辞麗句の下に長時間労働を正当化する企業風土である。それは社会全体の考え方や環境の中で、一向に改善されないまま、時代にそぐわない慣習として今なお定着していることが問題といえる。
社会環境または企業風土として、せめて子供ができたばかりの社員には、定時で帰るよう促す配慮や努力があっても良いと思う。
子供が幼年期に身に付けなければならないことは驚くほど多い。幼年期に十分な情操教育を受けられなかった子供は、その子の一生に関わる豊かな情緒が十分に培われないと言われている。それを考えればその大事な時期に父親の不在という責任は殊の外重いと言える。人の一生の人格を左右する大きな要因と思えば怖い話しである。
アメリカの学者が書いた「Emotional Intelligence」という本を読んだことがある。その本の中で、豊富な知識と経験があることで大手企業のCEOに選ばれた人でも、必ずしも成功しないと書かれている。その共通の理由は、その人たちが「Empathy」を有していないためだという。
このEmpathyとは、他の人の感情(喜怒哀楽)を感じ取ることができ、共感できる心のことを言う。Empathy を有しないこれらのCEO達は、恐らく幼児期に両親から教えられ培ってもらうべき何かが不足していたのだろう。
ある保育園に子供を連れて行った母親がそこで泣いている子供を見た。その母親は連れてきた自分の子供に、あの泣いている子供のところに行って慰めてやりなさいと言ったとしよう。その母親の指示通りにした子供のおかげで、泣いていた子供は泣き止み、二人は友達になった。こんな些細なことが、人を慰めることを知ったその子供の成長に、大きなプラスの影響を及ぼすことになるだろう。
ある日父親が子供と一緒に歩いていた時、地面にいる虫に気がついた。父親は子供にそこにいる虫をそっと踏まないようにと教えたとしよう。その子供は、その小さな虫の命を救うことで命の尊さを学び、それを一生忘れることはないだろう。このように些細なことから小さな子供は大きな素養を身に付けることができるものなのだ。
三つ子の魂を育てるには、両親そろって愛情に満ちた家庭があって初めてできることだ。それを思えば、残業で帰宅が遅くなるのは当たり前とは言ってはおられないはずである。
子供達の将来のためにという政治家は多い。しかし、子供達の将来は、幼年期に両親がどこまで愛情を込めて育てることができるかにかかっている。それがどれほど大事なことかをよく理解すべきである。
残業を当たり前とする企業風土や社会環境を一朝一夕で変えることは難しい。しかし、新たに父親になった社員を定時に退社させることがそれほど難しいこととは思えない。
とっくに子育てが終わって今さら言われても遅すぎるという人も多くいるだろう。しかし、その人たちでもこれから親になろうとする若い人たちに、この「三つ子の魂百まで」という諺に込められた昔の人の心を広く伝えていってほしい。
子供が「おぎゃあー」と生まれてからほんのわずかな幼年期に、親としての努力がその子の一生にどれだけ大きな影響を及ぼすかを思えば、その大事な子供の幼年期に親が十分に時間と愛情を注げる社会環境、そして企業風土が整えられなければならない。
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