企業の無駄 - まとめ(前編)
文/在米日本人フォーラム(Text by Japanese Forum USA)
- 2018年8月5日
日本は昔から資源が乏しい国と言われてきている。しかし、ここで実は資源はいくらでもある、と言ったら誰もが怪訝な顔をするに違いない。これは事実である。ここで言う資源とは「無駄」である。つまりこの無駄をなくすことにより時間と金を創生することができる。こう言われると反論する人は少ないだろう。
いままで無駄についていろいろ書いて来た。これからも多くの無駄を紹介することになると思う。無駄は企業、官公庁、教育現場などあらゆる所で、いや、個人の毎日の生活の中にも数多く見出せるはずだ。この無駄をなくすことを一旦始めると、恐らく際限なく続けねばならないかも知れない。
しかし、一般的になぜ少しでも無駄をなくそうという努力をしないのか。面倒くさいとか、そこまでしなくてもいいだろうとか、しない理由や言い訳はいくらでもあるのだろう。
そうは言っても、少なくとも理屈の上では、無駄をなくすことに異論はないはずだ。勤勉だと言われ、また改善という言葉を世界共通語にした日本人ゆえに、無駄の排除にもっと挑戦するのが本来の姿だと思うのだがどうだろう。
まるで無駄の存在を当然のように、さらに無駄をあたかも必要悪として正当化するような環境を作った元凶は、一体何なのか考えてみたい。答えは一つや二つではなく多くの原因が積み重なった結果だと思う。だからここでは、ただ思い当たることを一つづつ取り上げてみたい。
まず考えられることは、日本特有の終身雇用制と年功序列制度だ。
これらの制度は、特に優秀でなくても、あるいは取り立ててめざましい成果がない人間でも、年とともにいずれは昇進させる。それもリーダーとしての資質がないことが誰の目にも明らかな人間であってもである。
ただひたすら時が来るのを待つ、その間大きな失敗をしないこと、上司にはうまく取り入って、長いものにはまかれ、憎まれ口は叩かず、そうしていれば、いずれは昇進し、そして定年となり退職金を手に入れる。
そんな生き方をするには、色々と我慢することも多いだろうが、まずは波乱なく勤め上げて、そして「はいご苦労様」と無事に終えることはできる。
そのような環境に長く身を置けば、自ずと火中の栗を拾うようなことはせず、出る杭が打たれることもない。従って誰も不思議とは思わない無駄を敢えてなくそうとすることが愚かしくなる。そして、ただ黙って何もせずにいることが賢い選択という考えがはびこることになる。
各組織によって定期的に採用された人間は、そのような事なかれ主義の環境の中に放り込まれ、ご無理ごもっともという処世術を身に付けることになる。
少しでも「何かおかしいのでは」などと言えば、周りが「そんなことは言うな」、「するな」という。これでは当然ウイッスルブロワー(whistleblower:告発者)は存在しえない。仮にそんなことをすれば逆に罰を受けることになる。従い、そのような現実を敢て変えてやろうとする人が出てきようがない。
そんな環境だから、「そんな話しは聞きたくない、言ってくれるな」と思うのは仕方の無いことで、あながちそのように思う本人を責めることは至って難しい。
しかし、やはり無駄はなくさなければならない。この点については誰もが賛同すると思う。それならどうすればできるようになるのだろうか。
アメリカ社会でも、日本と同じように無駄は存在する。しかし、アメリカでは、もし無駄があれば誰かが必ずそれをなくそうとする。組織内では、大概は上からのトップダウンの命令によって、組織が持つ無駄あるいは社会的責任に反するような行動を直ちにやめさせる社内規則や体制が作られる。さらに、無駄や違反や違法を告発したウイッスルブロワーが処罰されるようなことはない。
(後編に続きます)
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