第68回 好きなこと
- 2019年6月5日
- 2019年6月号掲載
美しいものは、私たちを慰めてくれる。揺れる気持ちを静めたい時は、私は好きな1曲を聴く。バイオリニストのサラチャンが演奏する、ショパンのノクターンを聴く。すっと気持ちが収まり、やりたいことにフォーカスできる。自分にとって何が大切か、初心にかえらせてくれる。雑念を振り払ってくれるこの曲とは長い付き合いだ。死ぬ前に聴きたい1曲を挙げるなら、聴き慣れたノクターンだ。
日本画家、東山魁夷の『道』という絵も好きだ。傷心した時は画集のページをめくり、この絵を開く。緑と白のたった2色のシンプルな構図。手前中央から始まった道が緑の丘を通り、ぐねぐねと曲がって、どこまでも遠く続いている。見始めると、緑と白の幻想的な世界に入り込んで出られなくなる。この道を歩いてみたい。この絵を見ると私は厳粛な気持ちになり、どこからか力が湧いてくる。緑の野原と白っぽい道だけの絵。ほとんど何も描かれていないようで、画家の心の強さがじわじわと浮き上がってくる。描きたかったのは彼の心の中の道なのだろう。
寂しい時は、母が縫ってくれた着物を出し、触ってみる。本絹のひんやりした滑るような感触が手を包む。母が選んだからか、少し垢抜けない、控えめな図柄が奥ゆかしい。柔らかくぼかした色合いの花柄も、忘れかけたふるさとや日本の恥じらう美しさを思い出させてくれる。こんな色と柄は、着る女性のたおやかな美しさを引き立たせる。着物はおしゃべりをしない。
私の故郷の萩には毛利の城跡が残り、散った桜がお堀の水面を埋めていた。指月山の麓にある菊ヶ浜の海で、夏は毎日泳いだ。「われは海の子白波の、騒ぐ磯辺の松原に、煙たなびくとまやこそ、わが懐かしき住家なれ」。こんな世界に住んでいた。昔の歌は歌詞が良い。詩情溢れる風景が自然と浮かんでくる。
おり紙を見るのも好き。きっぱりした真っ赤、鮮やかな黄色、紺青、深い緑。すべての色に少し灰色が忍び込んでいるモヤモヤした色が多い日本の色のなかで、おり紙の色だけは鮮やかだ。米国でメキシカン系のこどもたちが多い小学校で絵を教えていた頃、よくおり紙をこどもたちにプレゼントした。手が切れるように薄くて鮮やかな色紙をもらうと、彼らの大きな黒目がぱっと輝いた。思わず歓声が出る。こんな紙を見たことがないのだ。
それは1カ月に一度の割合で、毎回、違う小学校、違う学年、違うクラスでアーティストがアートを教えるというプロジェクトがあり、教える側の一員だった時だ。前衛アーティストたちは結構本気でこのプロジェクトに取り組み、おもしろいことを教えていた。私も一工夫が必要だ。それなら、やっぱり、おり紙を教えよう。特別のアートクラスだから2時限のコマが与えられていた。これはかなり作戦を練って行かなくては、こどもたちに見放される。こどもは正直で容赦ない。最初に彼らを惹きつけられるかどうかが勝負だ。
私は水色の地に桜が舞っている着物を着て教室に入った。初めての出会いはいつもスリリングだ。導入は日本語が象形文字であることから。黒板にまず木の絵を描き、その中に漢字の木を書き込む。木が2本で林。もっと木が増えると森になる、と説明してゆくと、「ほう」とこどもたちの口からため息が漏れる。当時、『空手キッド』という映画がヒットしていたので、漢字の秘密に触れたこどもたちは興味津々である。では、4本の木が集まると、何になるのだという質問をしてきて、私を困らす。ジャングルだ、と苦し紛れに答え、実はそんな字はないよ、私たちが考案者だ、というと教室が湧く。彼らに一本取られて、肩の力が抜ける。こうなると、おり紙を教えやすくなる。
草間彌生さんの作品を見ると、私は反射的に日本のおり紙を思い出す。鮮やかな色はおり紙の色で、日本人の多くは、パターンの繰り返しの中に美を見る。網目や水玉を永遠に描いていくと、手にクラフツマンシップの快感がある。手を使ってする同じ動作は、ある種の安定感を生む。ニューヨークでしのぎを削る競争の毎日で、将来の不安、経済的な不安、自分の能力への不安に苛まれた時、同じ動作を繰り返すことで、草間さんは精神の安定を維持されていたのかもしれない。そして描いたものをふと遠目に見ると、何か美しいものができていた。人間は自分の好きなことしかできない。それで押し通す道を探してゆくほかない。いつか美しいものができることを願って。
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