産後うつ

文&写真/樋口ちづ子(Text and photo by Chizuko Higuchi)

文章を書く時、明確なルールを自分に課している。それは家族のこと、仕事のことは一切書かないということ。ゼロ。そのほかのことを書く時は、読んで気持ちの良いもの、人の役に立つであろうことだけを書く。その反対はない。単純なルールだから迷うことはなく、書く目的はそれ以外には一切ない。

家族と仕事のことを書かないのは、この2つが私にとって一番大切なことだからだ。そしてご想像の通り、どちらも苦しい、恥ずかしい、いやらしいことがいっぱいだ。そうであっても、おかしなことに、この2つが私の土台でバックボーンでもある。

ところが最近こんなことがあった。「お母さん、私のこと書いて良いよ。私みたいに苦しんでいる人がいると思うよ」と娘が言い始めた。娘は、待望の赤ちゃんを産んで1カ月経っていなかった。帝王切開で体は衰弱していても、母性の喜びに満たされている時のはずだった。なのに、暗い顔で笑わなくなった。

「お母さん、私おかしいよ」。そう泣きながら告白したのは、赤ちゃんを家に置いたまま、いなくなった時だった。亡霊のような姿で帰ってきた時は、髪はバラバラ、上着がはだけて下着が見えていた。気がついたら公園のベンチに座っていたと。赤ちゃんにハンディキャップがあるのではないか、自分に育てられるか、経済的に養育できるだろうか、仕事に復帰できるだろうか、次から次に不安が襲う。以前は好きな仕事も旅行も、快適な暮らしもあった。今は朝も昼も夜中まで子守だけだ。慢性睡眠不足で、母乳も少ない。赤ちゃんは泣きやまない。狭い穴に落ち込んだ。子供を産んだのは間違いだった。私は我が耳を疑った。明るく優しい彼女からこんな言葉を聞くとは夢にも思わなかった。

現在は、自分がどのような人生を生きたいか、選択は自由だ。特に女性には、子供を持つ持たないの選択がある。医療研究やビジネスの世界に身を置き、世界規模で人類に貢献したいから子供はいらない、という生き方もある。芸術を追求すれば、自分の作品は子供に等しい。だから自分の子供は産む必要はない。それも理解できる。大いにありだ。

一方、私の一個人の意見は、人間も動物のメスの一員であり、メスの最大の特徴は子供を創るという特殊な能力を持つことだから、与えられた能力は使ったほうが良いという考えだ。孫の顔を見たいのは親のエゴイズムだと自分に言い聞かせ、極力口を閉ざしていた。娘は無言の私の望みを知っていたから、年齢的に無理な時はアダプトしたいと言った。それもあり。しかし、娘はタイムリミット直前に、子供を持つことにした。私は、この選択をしたことで彼女が経験するであろうしなくても良い苦しみと、だからこその喜びを思い喜んだ。そしてその後の予想に反するこの展開だ。

とにかく手を尽くそう。私はその日から毎日娘宅に子守に通った。私に今できることはこれ。娘は精神科医と話し、抗うつ剤を飲み、育児のヘルパーを雇い、子供を持つ友人たちに電話をしまくって聞いた。同じ経験ある?と。驚いたことに、傍目には幸せいっぱいのように見えていた友人たちの多くが、産後うつを経験していたことだった。その体験があまりにも辛かったので、記憶の底へ封印し、あの頃のことをまったく憶えていないという友人もいた。娘は友人と話すことで、少しずつ穴から這い上がった。4カ月が経つ頃には赤ちゃんが笑い始め、凍りついた娘の顔にも笑顔が戻った。

毎晩情報を探して検索している時、ある動画に出くわした。その方は、両目がなく、鼻が半分欠損した赤ちゃんを産んだ。何度もビルの屋上に行き投身自殺を思ったが、死ねなかった。今、中学生になったお子さんが、施設で生活の基礎を訓練されている様子が映し出されていた。感動したのは、彼女はその後に3人ものお子さんを産み育てていることだ。家族で姉を訪問している。正しいことを正しくしようと震えながら挑んでいる母。精一杯勇気を振り絞っている母。私はこの動画を見た後は、愚痴は一切言わなくなった。逃れられない運命に立ち向かう覚悟をした時、母は変容する。

今、産後うつで苦しんでいる方がいるかもしれない。多くの女性が同じ経験をしている。苦しくてもがいている時は、自分が確実に成長している時でもある。赤ちゃんも育っている。今は真っ暗でも、霧が晴れる日がきっとやってくる。もうすぐ赤ちゃんが笑う。がんばって。

この記事が気に入りましたか?

US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう43年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

この著者への感想・コメントはこちらから

Name / お名前*

Email*

Comment / 本文

この著者の最新の記事

関連記事

アメリカの移民法・ビザ
アメリカから日本への帰国
アメリカのビジネス
アメリカの人材採用

注目の記事

  1. 「石炭紀のガラパゴス」として知られ、石炭紀後期のペンシルバニア紀の地層が世界でもっとも広範囲に広が...
  2. ジャパニーズウイスキー 人気はどこから始まった? ウイスキー好きならJapanese...
  3. 日本からアメリカへと事業を拡大したMorinaga Amerca,Inc.のCEOを務める河辺輝宏...
  4. 2024年10月4日

    大谷翔平選手の挑戦
    メジャーリーグ、野球ボール 8月23日、ロサンゼルスのドジャース球場は熱狂に包まれた。5万人...
  5. カナダのノバスコシア州に位置する「ジョギンズの化石崖群」には、約3 億5,000 万年前...
  6. 世界のゼロ・ウェイスト 私たち人類が一つしかないこの地球で安定して暮らし続けていくた...
  7. 2024年8月12日

    異文化同居
    Pepper ニューヨーク同様に、ここロサンゼルスも移民が人口の高い割合を占めているだろうと...
  8. 2024年6月14日、ニナが通うUCの卒業式が開催された。ニナは高校の頃の友人数名との旅行...
ページ上部へ戻る