25年前にLA 郊外のPalm Springsに2年ほど住んでいた。Coachella Valleyの広大で美しい砂漠の中の小さな町である。絢爛豪華な星空が見えるように、現在でも街灯が一切ない。夜は真っ暗闇。冬はとろけるように暖かい避寒地として有名だ。ドライブしていると、突然蝶の大群に襲われることもあった。真黄色の塊が押し寄せ、嵐のようにフロントガラスにぶつかってくる。衝撃音がバチバチバチと鳴る。死に絶えたびちゃびちゃの蝶の屍でフロントガラスは真黄色に染まる。彼らの通過後の道は、みごとに蝶の死骸のイエローロードとなる。砂漠は自然までダイナミックだ。
愉快な出会いはRoad Runnerだった。痩せたひょうきんな姿の黒い鳥はどこからか突然現れ道を横切り、ドライバーをびっくりさせるのを楽しむかのように反対側に走り去る。一体どこから来て、どこに行くのか、不思議な鳥だ。
数日前、その『ROADRUNNER』という題のドキュメンタリー映画を映画館で観た。封切りを待っていた。米国の人気シェフ、アンソニー・ボーデインを偲ぶ記録映画だ。
3年前、彼の突然の自死のニュースは衝撃的だった。22年前にジョン・F・ケネディ・ジュニアが海に消えた時のように、テレビの前で呆然と立ちつくした。こんなことがあっていいのか。こんなかっこいい人が人気の絶頂期に、こんな死に方をしていいのか。CNN放送局も仲間の死を悲しむ声で埋まった。愛され、慕われ、尊敬されていたことが、その悲しみの報道から伝わった。
彼がリポーターを務める『Parts Unknown』は、世界の料理を紹介しながらその土地の文化も人々の生活にも迫るリポート番組で、絶大な人気があった。世界中の都会にも秘境にも、あらゆる場所に出かけて行き、土地の人々が作った料理を一緒に食べ、彼らと話す。彼の率直な、時に率直すぎるほどの素朴な会話や彼の見解は、うわべではなく、人々に実際の生活感情を吐露させ、彼らの現実に迫るものがあった。それ故に毎回、何かを教えられ、考えさせられた。今まで知らなかった世界を、ほんの少し知ったような気にさえなった。彼の言葉使いは決して上品なものではないが、日常生活のナマの感情が機関銃のように発せられ、混沌としたエネルギーをもって現実に迫る。彼は世界を知れば知るほど、自分たちがいかに何も知らないかを教えられる、とも言う。
彼の斬新さは、自身が調理人だったこともあり、料理をする側の立場から食を見ることだった。最初の本は『Kitchen Confidential』で、この本を読む前にレストランで出された食事を食べないでほしい、とも言っている。厨房の熱い火の前で、料理人がどんなに汗を流し、過酷な労働に耐え、労働に見合うだけの賃金をもらえずに、それでもおいしいものを人々に食べさせたいと調理しているのか、それを分かってから食べてほしいんだ、と。庶民の料理人の側から食を考えた。
彼の日本編のルポをたまたま見た時、正直、驚いた。外国人のルポとはとても思えないほど、今の日本の食文化、風俗、生活感情を的確に捉えていた。充実した内容、切り込んだ洞察が、彼の言葉で機関銃のように発せられる。これだけの調査は背後で優秀なスタッフが念入りにリサーチしていると推測できた。東京、新宿の若者文化、寿司文化、沖縄などの取材はどれも秀逸だった。日本がこれなら、他の国のルポも同様に事実に迫っているはずだ。ベトナム料理のフォーを庶民的な食堂でオバマ大統領とさしですすりながら、アジアを語ってもいる。
彼は旅をすることの大切さを言う。「動くことをすすめたい。可能である限り遠くまで、可能な限りたくさん動く、誰か他の人の立場に立ってみる。少なくとも彼らの食べ物を食べる。心を開くこと。ただ、オープンでいること。恐れないこと、賢明であること。でも、世界に対して心を開くこと」と。
東京をこよなく愛した彼は、コンビニの卵サンドが大好きだった。「チワー」といいながらローソンに入る。彼の生き方、考え方はたくさんの人に影響を与えたのだから、死に方も無意識のうちに影響する。そういう選択の可能性を示唆してはいけない。有名人であるが故の事情はあったに違いないが、恥を晒しながら生きてもいいではないか。荒い言葉で自嘲すればいい。そしてROADRUNNERのようにドライに駆け抜けてほしかった。
今日は、卵サンドを作ろう。おいしいよ、きっと。
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